個人的には「今さら」感漂うニュース

銀閣寺:やはり銀箔なかった 「驚きはない」――初の科学調査」(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070107ddm041040059000c.html

東山文化を象徴する銀閣寺(慈照寺京都市左京区)境内の国宝・銀閣(観音殿)の壁面に、銀箔(ぎんぱく)は張られていなかったことが分かった。寺が初の科学的調査で確認し、6日明らかにした。漆塗りの建物で銀はなかったとの通説通りの結果で、坂根孝慈執事長は「わび、さびが特徴なので、特に驚きはない」と話している。


屋根や柱を修復するための予備調査の一環。2階軒の雨に当たらない部分から試料を採り、奈良文化財研究所(奈良市)によるエックス線元素分析などの結果、銀は確認されなかった。


銀閣」は江戸時代以降の呼び名で、2階外壁の漆に池の反射光が映って銀色の輝きを演出したためか、金箔を張り付けた金閣寺鹿苑寺、同市北区)の「金閣」と対比させたなどといわれるが、銀箔を張っていたという説もあった。【鶴谷真】

…私自身が授業などを通して習っていた通説といえば。
「当初は銀箔を張る予定だったものの、応仁の乱などによって室町幕府の財政が逼迫したのと、足利義政が病没したのが理由で、遂に銀箔は張られないままで終わった」というものでした。
そもそも「銀箔を張っていたという説もあった」という話自体が初耳でしたし。


なるほど、「『銀閣』は江戸時代以降の呼び名」だったのですか。
じゃあ「当初は銀箔を張る予定があった」という通説自体も怪しいものですね。
そも、将軍職を譲った息子義尚に先立たれてショックを受けていた*1ことに加えて、中風の発作を起こして最晩年には半身不随にまでなっていた義政が果たして「銀箔を…」なんて考えるかというと…なるほど、確かに疑問ですね。


こんな記事が。
義政の命日*2である本日に新聞に掲載されたところに。
奇縁を感じずにはいられません。


★★で、マムシの件はその後どうなったのであろうか? 人気blogランキング★★

*1:余談ですが、この2人、「父の側室と息子がデキてしまい大ゲンカした」なんて逸話もあります。それはまたいずれ(←いつだ)。

*2:延徳2年(1490年)1月7日。ちなみに、毎度おなじみ「太陽暦に換算すると」では「西暦1490年1月27日」に当たります。