実際に調べてみた。

というわけで。
昨日のエントリで紹介させていただいた○×クイズの正解ですが。


Googleで検索してみた結果。
正解は○」である可能性が高そうですね。


Wikipediaで調べてみたところ、

名称「板蓋宮」は、文字どおり屋根に板を葺いていたことに由来すると言われている。このことにより、当時の屋根のほとんどは草葺き・茅葺き・藁葺きであり、板葺きの屋根の珍しかったことが判る。因みに、この頃の寺は、瓦葺きであった。

とあります(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E8%93%8B%E5%AE%AE)。


また。
朝日放送のホームページにある『歴史街道〜ロマンへの扉〜』のなかにある「奈良・明日香村」の「飛鳥京」にも、

蘇我入鹿を暗殺した大化の改新の舞台となったのが、642年に皇極天皇が造営した板蓋宮(いたぶきのみや)だが、その跡と伝わる伝板蓋宮跡は田んぼの中に石敷きが広がる史跡公園となっている。茅葺きの屋根が主だった当時、初めて板葺きにした宮殿だったことからこの名がつけられたようだ。

とあります(http://asahi.co.jp/rekishi/2006-11-02/01.htm)。


「100%確定!」とまではいかなくても、かなり高い可能性で「○」が正解と考えてよいようです。


そういえば。
忘れていましたが。
私、4年半ほど前に飛鳥に行ったことあるんですが。
そのときにこの飛鳥板蓋宮跡伝承地にも出掛けたことあります。



↑ちょうど地元のCATVか何かの撮影中だったようで、中に入れなかったのが残念でしたが。
歴史街道〜ロマンへの扉〜』のホームページにあるように「石敷きが広がる史跡公園」であることは、はるか遠景ではありますがお分かりいただけることと思います。
まあ、ホントに「田んぼの中にぽつねんとある」遺跡なんですけどね。近くにある「蘇我入鹿首塚」同様に。


余談ですが。
ここを訪れたとき、あの見瀬丸山古墳にも行きましたよ(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050623#p1)。
後円部を貫通している国道169号線をレンタサイクルでぶっ飛ばしながら(笑)。


★★昔某クイズ番組でも「平清盛はその名が示すとおり平家、つまり『ひらや』に住んでいた」という○×クイズ出題されたことありましたねえ。人気blogランキング★★