またマニア心をくすぐるニュースが…

「今城塚古墳:大規模な石組み遺構見つかる 大阪・高槻」(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070302k0000m040104000c.html)。

継体天皇(大王)を葬ったとみられる大阪府高槻市郡家新町の前方後円墳「今城塚(いましろづか)古墳」(6世紀前半、全長約190メートル)で、後円部から大規模な石組み遺構が見つかった。1日発表した市立埋蔵文化財調査センターによると、石棺を納めた石室の基礎部分とみられ、築造当初は基礎の上に横穴式石室があったらしい。大王が葬られたとみられる古墳で、発掘調査によって埋葬施設の一端が明らかになったのは初めて。
同センターは、国史跡に指定されている同古墳の公園整備のため97年から調査。今回は最終の第10次調査で、後円部の北側約300平方メートルを発掘した。地震で崩れた墳丘斜面で、東西17.7メートル、南北11.2メートルの長方形の範囲に石を敷き詰めた遺構を確認。遺構の外周部分は、石垣のように一直線に石が積まれ、内側には20〜40センチの石が敷き詰められていた。
周辺からは、横穴式石室に入れる家形石棺の破片とみられる3種類の石材のほか、副葬品とみられる金属やガラス製の装飾品約620点が見つかった。
このため同センターは、石組みが重量のある石室の沈下を防ぐ基礎の役割を果たしていたと判断。天井や壁の石材は見つかっていないが、基礎の上に横穴式石室を築いたとみている。
横穴式石室の基礎は、これまで京都府の宇治二子塚(ふたごづか)古墳(6世紀前半)や奈良県の市尾墓山(いちおはかやま)古墳(同)で一部が確認されているが、これほど大規模な例は初めて。また写真や文献で埋葬施設内の様子が推定できる大王陵は、欽明天皇の墓との説が有力な奈良県橿原市の丸山古墳(6世紀後半)や、同県明日香村の天武・持統合葬陵(7世紀後半)があるが、今回のように発掘調査で確認された例はない。
今城塚古墳は、1596年の慶長伏見地震などで、墳丘は2段だけが残存。横穴式石室は最上部の3段目にあったとみられる。このため築造当初は3段築成だったことが確認された。今回の調査で、墳頂部から北方向への地滑りが起きていたことも分かり、石組みはそのまま崩れ落ちたらしい。
現地説明会は、4日午前10時〜午後3時。問い合わせは同センター(072・694・7562)。【福田隆】


▽白石太一郎・奈良大学教授(日本考古学)の話 埋葬場所のおよその位置と構築技法が分かった意義は大きい。横穴式石室を、墳丘の高い位置に設置するための工夫として、基礎が必要だったのだろう。これまで石組みの基礎が確認された宇治二子塚と市尾墓山は極めて特殊な例だと思われてきたが、今回の発見で、他でも同様の工夫が行われていた可能性が出てきた。


◇今城塚古墳 大阪府高槻市教委による過去の調査で、内堤から巫女(みこ)や武人、大刀などの形象埴輪(はにわ)が元の配置のまま大量に出土。大王の葬送儀礼や古墳祭祀(さいし)を解明するうえで貴重な資料と評価された。宮内庁は西約1・5キロにある太田茶臼山古墳(同府茨木市)を継体(在位507〜531年)陵に指定しているが、考古学上は5世紀中ごろの築造とされ、今城塚が真の継体陵と考えられている。


◇解説
継体天皇(大王)を葬ったとされる今城塚古墳の埋葬施設が斬新な横穴式石室で、墳丘のスタイルが伝統的な3段築成であることを明らかにした今回の調査結果は、日本の古代王権が連続していたのか、断絶があったのかをめぐる議論にも影響しそうだ。
天皇は神武以来、万世一系であるとする皇国史観から解放された戦後、「古事記」「日本書紀」を批判的に読むことによって、古代には血統を異にする三つの王朝が入れ替わって成立したという王朝交代説が提示された。
実在した最初の天皇とされる崇神からが古王朝(三輪王朝、イリ王朝)、応神からが中王朝(河内王朝、ワケ王朝)、継体からが新王朝と呼ばれ、それぞれ、考古学の時期区分である古墳時代の前期(4世紀)、中期(5世紀)、後期(6世紀)にほぼ重なる。
古事記」「日本書紀」には、武烈に子がなく王統が絶えたために、現在の滋賀県福井県から応神の五世孫(5代後の子孫)の継体を迎え入れたと記されている。507年に即位し、531年に没した継体が新王朝の創始者なのか、前王朝の継承者なのか。中期から後期にかけての大王墓の様相の変化が手がかりになる。
今城塚については、真の継体陵とすることで学界に異論がない。今城塚が後期に特徴的な横穴式石室をいち早く採用していたことは継体朝の革新性を示すが、ヤマト王権が誕生した奈良盆地東南部の巨大前方後円墳とも共通する3段築成の墳丘になっていたことは、前期、中期からの連続性を示す。継体朝が大きな画期であったことは間違いないが、前王朝を打倒して樹立された新王朝と言うのは難しそうだ。【佐々木泰造】

…いよいよ「日本古代史上最大のタブー」にメスが入れられようとしています。
日本史マニアにして陵墓マニア、かつ古墳マニアの私としては、血湧き、肉躍る気持ちで、今後の研究テーマに活かしていくべく動向を見守っていきたいと思っています。


ていうか、「その前に修士論文のテーマ早く提出しろよ自分」って感じなんですけど(笑)。


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