前々から気にはなっていたのです。

またまた「壮士の最期」シリーズは1回お休みとなりますが、あしからずご了承ください。


表題にもあるとおり。
明和8年(1771年)の今日3月4日。
江戸・小塚原の刑場で、杉田玄白前野良沢らが死刑囚の死体の解剖を見学しています。


このとき、解剖に付されたのは。
後に杉田玄白が著した『蘭学事始』によると。
青茶婆」と呼ばれた、50歳を超えた中年女性であったそうです。
この女性、子供の養育料を目当てに何人も貰い子をしてはその子供たちを次々と殺していった罪により、同日に「死罪のうえ獄門」となったとのことでした。


玄白や良沢らが小塚原に到着したときには、1時間ほど前に刑は執行された後で。
青茶婆」の首は既に獄門台に晒されていたそうです。
その首のない死体は、玄白によると「若い時、艶名をうたわれたといわれるだけに、五十を越しているというにもかかわらず、白い肥肉(ふとりじし)の身体には、まだ少しの皺も見えなかった」*1とのことでした。


玄白や良沢は。
以前に入手していたオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア*2を片手に腑分けの様子を見学し。
その書物の中にある図と解剖された身体の部分があまりに相似であることに驚いた…というのはベタですよね。


★★そういや、昔『ターヘルアナ富子』って漫画もありましたっけ。人気blogランキング★★

*1:引用部は、杉田玄白の著作をもとに菊池寛が著した同名の短編『蘭学事始』より。

*2:もともとの作者はドイツ人医師ヨハン=アダム=クルムス。彼の著書『Anatomische Tabellen』がオランダ語に翻訳され、日本に伝わってきたものが『ターヘル・アナトミア』である。