心のふるさと われらが母校

↓のみみっちい話はさておきまして…。


本日出身大学まで出掛けたのは。
以前にもチラリと弊ブロクで触れさせていただいたのですが、大学時代の恩師に「4月から兼業大学院生になります」というのを報告に行くのが目的でした。


陽気がよかったのと。
↓で述べたような理由で気分爽快だったこともあって。
高田馬場駅からキャンパスまで徒歩で向かうことにしました。
いわゆる「馬場歩き」ってヤツです。自分が学生だった時代にはなかった単語ですけれどね、「馬場歩き」って*1


ここ数年は、たまーに用があって大学周辺まで出向くことがあっても、それはもっぱら「マイカー利用」であって。
こうして学生時代のようにキャンパスまで早稲田通りをのんびり歩くのは、本当に久しぶりのことでした。


あったはずの店がいくつも変わっていたり。
そもそも、インド大使館の存在を全く失念していたり。
でも、「早稲田松竹」という古びた小さな映画館は健在だったり。


と。
ただ歩いているだけなのに、心弾んでウキウキさせられている自分がいました。
以前にも書かせていただいた、この街が持つ求心力のなせる業です(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20070116#p1)。


自分が在学中にゼミで指導教官を務めてくださった先生は、既に退任されているのですが。
もう1人いらした中古文学の担当の先生は、いまだに活躍なさっておいでで。
今回私が連絡させていただいたら、ご多忙なスケジュールの合間を縫って快く迎えてくださいました。


「いくつになっても、学ぶ心を持つということは素晴らしいことですよ」。
その先生は、自分の報告をとても喜んでくださいました。
ある意味においては「国文学を捨てて、日本史学に鞍替えした」と受け取られても仕方のない自分であるにもかかわらず、温かい言葉を掛けていただけたことが、とても嬉しく、心に染みました。


本日、恩師のもとを訪ねたことがきっかけで、改めて気づかされたのですが。
つまるところ、学問というのは「優れた師とのめぐりあい」によって開花させられる部分も少なくなく。
そう言った意味において、「人と人との出会いや縁」というのは大切なものであるのだ…としみじみ思いました。


自分だって。
しばらくぶりで訪ねたにもかかわらず、歓迎してくれる恩師を持つことができたわけですし。
そういった、自分の出身大学の持つ「懐の広さ」が、たまらなく大好きな自分です。


4月から。
あまりに長すぎた「寄り道」を経て、自分の「学びの道」が再び始まっていきます*2
そして。
京都にあるその大学では、数多くの先生方が自分たちの入学を待っていてくださっていることと思います。


どんな新しい出会いがあるのか。
「心のふるさと」であるところの母校に恩師を訪ねて、改めて期待(と併せてちょびっとだけの不安)が大きくなっていくのを感じた自分でした。


そんな自分の頭の中でリフレインしていたのは。
新選組!』の劇中における、藤原竜也山本耕史の声でした。

沖田「楽しみですね、京都」
土方「向こうじゃ何が待ってるんだろうな、俺たちを」


恩師と別れて。
春季休業中であるにもかかわらず多くの学生たちで賑わうキャンパスを(自分の出身学部は成績発表の日だったようです)1人でブラブラ歩きながら。
このキャンパスに対する愛着と、新しいキャンパスに対する期待が、あざなえる縄のように心の中にもつれ合っているのを感じつつ。
ふと気がつくと。
あまりにも有名な「創立者の像」に行き当たりました。



↑思わず、写メでパチリ。
逆光だったのがむしろ幸いして、シルエットっぽいイイ感じの仕上がりになってくれました、と自画自賛(笑)。


次に母校に「帰る」のはいつになるかは分かりませんが。
「大きくなって帰ってきてやるぞ」と思わずにはいられませんでした。


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*1:トシがバレる(笑)。この言葉が使われ始めたのって、一体西暦何年ぐらいからなんでしょうね? ちなみに、妻は在学中にリアルタイムで使用していた年代のようです。

*2:「仕事もキチンとしながら」ですけどね(笑)。