宇治の川霧絶え絶えに…

「アフター編」です。


入学式が行われた、ちょうどその土曜日。
関西在住の友人の1人が「宇治に引っ越したので、土曜日に桜でも見ながら飲みませんか?」とmixiで呼び掛けていました。
ちょうど上洛していることでもあるし、「時間的な余裕があったらぜひ参加させてください」と連絡入れ、仲間に入れていただくことになりました。


様々な紆余曲折を経て。
相当な時間を移動に浪費したうえで*1、京阪宇治駅に到着。
久しぶりに会う友人たちと合流。
嬉しい再会でした。


が。
ここに来て、雨はますます激しくなり、遂に本降り状態。
コンビニの傘も売り切れという状態のため、仕方なく友人の1人の傘に相乗りさせてもらうことに。
かくして、一張羅のスーツの左半身、ずぶ濡れに。


「帰りの新幹線の時間」という制約もあったので、あまり長くはいられませんでしたし。
雨のせいで桜を愛でることもままなりませんでしたが。
楽しかったです。久しぶりに盃重ねながらの(…というほど飲んではいませんでしたが)トークも、ちょこっと「押させてもらった」ことも。
お付き合いくださった皆さんに心から感謝。ありがとうございました。またスクーリングでそちらに行く機会も少なからずあろうかと思いますが、その際はぜひよろしくお願いします。今度は例の韓国料理の店にも行ってみたいなあ(笑)。


余談ですが。
友人の家に向かう道中。
ふと気づいて、心密かに感動していたことが1つあります。


友人宅、窓を開けると古墳が見える!」という事実に。


そうです。
現在では宮内庁によって「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)宇治墓」に治定されている*2「丸山古墳」が一望できるのです。
実際に窓を開けて見せてもらったわけではありませんが、面した道路からも件の古墳を見ることできたので、さぞやクッキリと見えるのではなかろうかと。


陵墓マニアとして。
古墳マニアとして。
思わぬ「拾い物」に心中小躍りしていたことを、ここにザンゲさせていただきます。


★★興奮して帰りの新幹線の中では一睡もできませんでしたよ(一部ウソ)。人気blogランキング★★

*1:最大の失敗は「土曜日夕方の市バスに乗ってはいけない」ということを失念していたこと。京都市街の渋滞をナメていました。いや「…千本北大路から四条京阪駅までバスで行けるのなら、京阪だけで宇治まで行けるなあ」と安直に考えたのが失敗でした。関東人の浅はかさ。素直に北大路バスターミナルに出て、「市営地下鉄烏丸線近鉄に直通運転で丹波口へ→京阪に乗り換え」というルートを選択するのが吉でした。四条通りに入った途端、バスは渋滞でピクリともしませんでした。WCに行きたくなって、1つ手前の「四条河原町」で降りて雨の中四条京阪駅まで疾駆しましたよ。

*2:明治22年(1889年)6月1日、当時の宮内省によって治定されたとのことですが、他の古代の天皇陵同様に、その真偽のほどは「?」です。第一、『日本書紀』に記されている「菟道山上に葬られた」という記載とも矛盾しますし。…とまあ、こういうテーマを大学院で研究していこうとしているわけなのですよ、自分(笑)。