今年ばかりは墨染に咲け

昨日話をさせていただいたとおり。
仕事を早退して、恩師のお通夜に参列させていただきました。


平塚から、立川まで。
車で3時間。
…通常の倍かかりました。金曜日のいわゆる「ゴトウ日」、おまけに夏休みが始まる時期ですし、まあ致し方なかったところです。キチンと間に合って到着できたのでよしとします。


…本当に大勢の人が駆けつけていました。
先生の人望のなせる業だな…と思いました。


正直。
会場に到着して、遺影を目にしても。
まだ現実のこととは信じられませんでした。
会場でお目にかかった他の先生とお話させていただいた際にも、ただ「…まだ信じられないんです」としか言うことができませんでした。


やがて、駆けつけた大勢の人たちが、三三五五家路へと就くなか。
低回去りがたく、会場の外に立ち尽くしていた自分がいました。


自宅へと急ぐ車の中で。
しきりと思い出されたことが1つありました。


大学を卒業してから、数年経った後のことでしょうか。
後輩たちと遊びに出向いたついでに足を向けたキャンパスで、偶然先生とバッタリお会いしたことがありました。
お目にかかるのは卒業以来でしたので、ついつい話も弾んだのですが。
先生がふと、「…それで、今日はどんな用があって来たの? 大学院(受験)?」と尋ねられました。


…驚きました。
授業に出ているよりもサークルに顔を出している時間のほうが長かった、典型的ダメ学生だった自分を覚えていてくださったのみならず*1、自分のことを「大学院に進むだけの力あり」と評価してくださっていたことに対して。


そのときが。
大学卒業時には「…もう勉強はたくさん」と思っていた自分が、初めて「もっと勉強しておけばよかった」と思わされた瞬間でした。


そして。
先生がその一言をかけてくださったことで。
「学ぶのに“遅い”ということはない。“学びたくなったときが学ぶとき”でよいのだ」という気持ちが自分自身の中に芽生えたのかもしれません。


さすれば。
先生にかけていただいたその言葉によって、それから幾年の後を経て、自分が再び――国文学から日本史学へと鞍替えしたにせよ――「学びの道」を歩み出すことができたのだ…と言っても過言ではないはずです。


先生は、うちの大学のことを深く愛していらっしゃった方でした。
うちの大学の持つ、大いなる懐の広さを。
そして、そんな懐の広さをもって、ダメ学生だった自分をも包んでくださっていたのだと思います。
自分は、そんな大学で4年間学ぶことができたことを、心の底から誇りに思っています。
勉学だけではない何かを、自分に与えてくれた…否、「いまだに与え続けてくれている」、とってもでっかいうちの大学のことを。
そして、このような師とめぐりあうことができたことをも。


来週には。
スクーリングで京都に旅立つ自分がいます。
大学院での学習に関しては全く出遅れてしまっている自分ですが、精一杯、持てる力の全てを出し切ってこようと思っています。


そして。
何年後になるかは分かりませんが。
修士の学位を取得することができた際には。
胸を張って、天の先生に報告させていただきたいと思っています。


「これからも、先生はずっと見守っていてくださっている」
そう肝に銘じて、「学びの道」を進んでいきたいと思っています。


★★今日はこのラストの1文もオチなしです。人気blogランキング★★

*1:それでも、先生が担当されていた「国文学演習III」で出された課題で書いた「『枕草子』が描く藤原定子の世界」というレポートはとても褒めてくださったんですけどね。