個人的には「第四の男」感が満載の彼ではありますが…。
表題にもあるとおり。
今日9月7日は、「天正遣欧使節団」の1人であった原マルチノが異国で没した日です。
ただし、この9月7日は、例によって「太陰暦によるもの」であり。
太陽暦に換算すると、彼の命日は「西暦1629年10月23日」になります。
「天正遣欧使節団」のなかでは。
正使であり知名度も抜群の伊東マンショや、後にキリスト教を棄教したことで有名な千々石ミゲルや、長崎で穴吊りという壮絶な殉教を遂げた中浦ジュリアンと比べると、どうもインパクトに欠けるきらいのある彼ではありますが…。
キリシタン追放令が発布されたのを受けて、慶長18年(1614年)11月7日に自らマカオに赴くなど、その信仰心は厚かったようです。
Wikipediaの彼の項目には。
マニア心をくすぐられるような記述が多数掲載されています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8E)。以下箇条書きにて抜粋。
- 語学に長けており、ローマからの帰途、ゴアでラテン語の演説を行って有名になる。
- 宣教活動のかたわら、洋書の翻訳と出版活動にも携わり、信心書『イミタチオ・クリスティ』(Imitatio Christi, 『キリストにならう』)の日本語訳「こんてんむすむんぢ」などを出版している。
- 渉外術にすぐれ、小西行長や加藤清正とも折衝にあたり、当時の日本人司祭の中ではもっとも知られた存在であった。
- 彼の遺骸は(正面のファサードのみ残る)マカオの大聖堂の地下に生涯の師ヴァリニャーノと共に葬られた。
…知らないことのオンパレードでした*1。
マカオ大聖堂、自分、ちょうど8年前の今日9月7日に訪れています。これも何かの縁かもしれませんね*2。
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