またマニア心をくすぐる遺跡が…

…ちょっと取り上げるのが遅くなりましたが。


「最古の木製仮面 農耕儀礼の呪術者か 奈良・纏向遺跡」(http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200709260063.html

奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、木製の仮面(弥生時代末〜古墳時代初頭、3世紀前半)が出土し、市教委が26日、発表した。古代の木製仮面としては国内最古で、これまでの例を約400年さかのぼる。同じ場所から木製盾の破片や鎌の柄が見つかり、盾などを手に面をつけて踊る呪術師の姿をほうふつとさせる。古代祭祀(さいし)の具体像を知る一級資料で、農耕儀礼や鬼追いのルーツという見方が出ている。
宅地造成に伴う発掘で見つかった。3世紀前半ごろの土器とともに、井戸跡(直径1.5メートル、深さ約1.4メートル)に埋もれていた。
仮面はアカガシ製で、縦26センチ、横21.5センチ、厚さ6ミリ。未使用の鍬(くわ)の刃を転用したと見られ、柄を差し込む穴を口に、柄の支え部分を鼻にしていた。三日月形のまゆを線刻し、周りに赤い顔料がわずかに残っていた。裏側が平らで、顔に固定するひもを通した穴もないため、手に持って使った可能性が高いという。
鎌の柄(長さ47.5センチ、直径3センチ)と、赤と黒で彩色した盾の破片(モミ製、長さ15センチ、幅2.5センチ)は約40センチ上の土層にあった。仮面より後に井戸へ投げ込まれたらしい。市教委はいずれも同じ祭りで使われたと見ている。
約5キロ北西にある弥生時代の大集落跡、唐古(からこ)・鍵遺跡(奈良県田原本町)や清水風遺跡(同町・奈良県天理市)では、鳥の服装で両手を挙げたり、盾や武器を持ったりした人物を線刻した土器(弥生時代中期、紀元前1世紀ごろ)が見つかっている。仮面を明確に描いた遺物は見つかっていなかったが、今回の仮面出土で、これらの土器の絵も仮面の人物だった可能性が出てきた。
これまで木の仮面は7世紀初めごろの神戸市・宅原(えいばら)遺跡のものが最古だった。土製では縄文時代土偶に仮面らしいものの出土例がある。
仮面などは10月3日から12月2日まで、桜井市埋蔵文化財センターで公開される。


纒向遺跡に詳しい奈良県橿原考古学研究所の寺沢薫・調査研究部長(考古学)の話 古くからの農耕儀礼大和王権に採り入れられるなかで生まれた「神の顔」をかたどったのだろう。明確な形を持たなかった弥生の神々が、具体的観念として認識され始めたことを示す最古の例とも考えられ、画期的な発見だ。


纒向遺跡> 奈良県桜井市北部にある、弥生時代後期〜古墳時代前期の巨大集落跡。邪馬台国の最有力候補地とされる。関東〜九州地域産の土器が多数見つかった「都市」で、建築部材や農具などの木製品も大量に出土している。纒向石塚古墳(3世紀前半ごろ)や、卑弥呼の墓との伝承もある箸墓(はしはか)古墳(3世紀半ば〜後半)など最古級の古墳が点在している。


(写真:纒向遺跡から出土した日本最古の木製仮面=26日、奈良県桜井市の市立埋蔵文化財センターで)

…大発見です。そも木製の仮面なんて、土中で朽ち果てて今日我々の目に触れることなんてほぼ皆無でしたから。
また1つ、古代史に関する考証のネタ元となる発見がされたことは、本当に喜ばしいことです。


本文中にも書いてある通り。
纏向遺跡は、「邪馬台国畿内説」において邪馬台国の最有力候補地に挙げられているところです。
この仮面が『魏志倭人伝』に掲載されている、卑弥呼の「鬼道を事とし、能く衆を惑はす」といったシャーマンとしての儀礼で使われていた可能性もあるわけでして…。
考証を加えるだけで、ワクワクしてきます。


朝日新聞の記事に掲載されていた、想像図のイラストが。
あまりに面白かったので、転載します。


(収穫を祝って、赤い面を手に持った呪術師が舞い踊ったのか(復元想像イラスト)=画家早川和子さん作)

…スゴいなあ。


このあたり。
来月末に、研究も兼ねて、現地調査に出向く予定になっていました。
それだけに、個人的にもタイムリーな話題でした。


★★やっぱり文献史学より考古学畑のほうが向いているのかなあ、自分…。人気blogランキング★★