またまた小ネタですが。

本日の表題「渋川春海、初代幕府天文方に就任」について。
少しばかり補足をさせていただきます。


渋川春海は。
もともとは「安井算哲」を名乗っていて、家業である幕府の碁所を務めていたのですが。
山崎闇斎に和漢の書を、松田順承らに暦学を学び、天体を観測し、平安時代以来日本で使用されていた宣明暦の誤差を指摘して、元の授時暦をもとに天体観測の結果を加えて修正した日本初の暦法貞享暦を考案しました。
その功で、初代天文方に任じられたといいます*1


で。
ここで補足したいのは。
『世界大百科事典』(平凡社)に掲載されていた、この1文です。

姓は初め安井、のちに保井を用いたが、1702年(元禄15)より渋川を名のることを願いでて許された。

…ということは。
初代天文方に就任した当時は「安井」もしくは「保井」姓であった可能性が高いと思われます。
Wikipediaには「1652年、父の死によって2世算哲となるが、安井家はすでに1世算哲の養子算知が継いでいたため保井姓を名乗った」なんて記述もあります(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E5%B7%9D%E6%98%A5%E6%B5%B7)。例によって「Wikiの記述には全幅の信頼を寄せられないものも混ざっている可能性もある」ことだけは付記しておきますが。


つまり。
何が言いたかったのかというと。
初代天文方に就任した当時は、厳密に言うと『渋川春海』という名乗りは使ってなかったのですよ」ということだけなのです。
まあ…渋川姓のほうが通りがいいので、総合的に判断してあえて確信犯的に「渋川春海」という表記を使ったわけなのですが。あと、テキストボックスの文字数制限もあるものでして…。


★★これだけ注記したらスッキリしました。人気blogランキング★★

*1:その際、碁所は免じられたようです。