古墳、古墳、古墳(3)

…2か月のご無沙汰でした。
古墳探訪の続編、いってみたいと思います。
ちなみに、前回はこちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20071206#p1)。


渋谷向山古墳を後にし、さらに国道169号線を進むこと1km弱。
「…国道の右か左か」と迷った末に、行く手右側に行燈山古墳を見つけることができました。
墳丘部の全長242m、全国第15位、奈良県内では第7位の大きさを誇る古墳です。


↓参道から望む行燈山古墳です。


宮内庁によって崇神天皇山辺道勾岡上陵に治定されています。


↓拝所を望む階段。


↓「崇神天皇山辺道勾岡上陵」の石碑。


↓拝所から見た前方部です。


以下、前回にも書いた内容なのですが。
この崇神天皇陵、享保期以降は、現在景行天皇陵に治定されている渋谷向山古墳がそれであると考えられていました。蒲生君平も『山陵志』においてその説を支持しています。
それが、前回紹介したように、谷森善臣が『藺笠(いがさ)のしずく』*1という著書のなかで「両陵墓の治定は逆なのではないか」と主張したことによって、様々が議論がなれたようです。そして、その結果、慶応元年(1865)2月24日、幕府によって公式に「渋谷向山古墳を景行天皇陵、行燈山古墳を崇神天皇陵と治定を入れ替える」と決定され、今日の宮内庁による治定へとつながっています。
周濠の美しい古墳ですが、この周濠は「文久の山陵修復」の際に改修を受けたものらしいです。その理由について、『「天皇陵」総覧』(新人物往来社)に興味深い記述がありました。曰く「純粋に尊皇思想のみから修陵されたものではなく、水不足の解消という現実的な問題が大きくかかわっていた」(近江俊秀)とのこと。なる。


本当ならば、せっかくなので近くにある「日本最大の双方中円墳」櫛山古墳も見てみたかったところなのですが。
不穏な胃腸の状態が、それを許してくれませんでした。
駆け足で、最寄りの柳本駅に向かうこととしました。


★★…次回ようやく完結。人気blogランキング★★

*1:前回も同じ注をつけましたが…再度。いがさの最初の「藺」という文字は「蘭」という漢字の「東」が「隹」になったものです。携帯などから見るとバケている可能性もあるので注記しておきます。