…坂田?
日本史クイズの正解です。
↓問題はこちら。
Q.天徳2年(958年)に発行された「皇朝十二銭」最後の貨幣「乾元大宝」、その銘文の文字は当初は小野道風が書く予定でしたが、彼が視力の衰えがひどく小さい文字が書けない状態だったので代わりに担当した人物は誰でしょう?
…正解は「阿保懐之(あぼのかねゆき)」です。
…さて。
順番に説明させていただきたいと思います。
まずは、ベーシックなところで「皇朝十二銭」から。
奈良時代から平安時代初期にかけて朝廷が鋳造した、和同開珎から乾元大宝までの12種類の銅銭のことをいいます。
富本銭の存在が明らかになったことによって「日本最古の流通貨幣」であるかどうかは定かではなくなってしまいましたが。
↓一覧はこちら。
…自分、素で5つぐらいしか知りませんでした。最初3つと最後2つだけ。山手線クイズのお題がこれだったら到底勝てそうにもありません(笑)。
さて。
「当初は小野道風が書く予定だったが、彼が視力の衰えがひどく小さい文字が書けない状態だったので代わりに担当した」という、この問題文の根幹の部分についてですが。
この問題。
5年ほど前に「出題される問題が全て日本史」というクイズ大会を主催させていただいたことがありまして。
実は、そのときに作成して出題した問題を改題して出題したものなのですが*1。
どこかの歴史書に掲載されていた内容をメモ書きしたものから問題化したものらしいのですが。
肝心の出典を失念してしまいました。
これはボーンヘッドです。『国史大辞典』あたりだったような記憶もあるのですが…。そのうちまた出典調べますので、今回はカンベンしてください。
そして。
阿保懐之ですが。
…誰?(笑)
こういうときは安直にWikipediaに頼ろうと思ったのですが。
なんと、Wikiにも項目ありませんでした、阿保懐之。
ますますナゾの人物です。うーん…今回は積み残しの課題が多いなあ。
「乾元大宝の文字を阿保懐之が書いた」とする記述は。
藤原師輔の日記である『九暦』や、『日本紀略』に見ることができます。
★★今回の宿題はいずれ調べて書かせていただきます。人気blogランキング★★