彼の名前を久々に聞きました。

今日の日刊スポーツを見ていて。
競馬欄に掲載されていたさる記事に、ふと目が留まりました。


「タイカン7年ぶり同一重賞Vへ/CBC賞」(http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080612-371082.html

古豪リキアイタイカン空前絶後の記録に挑戦する。CBC賞が12月に行われていた01年に勝っており、今回制すれば実に7年ぶり2度目の同一重賞制覇となる。古い記録は定かではないが、これだけ間隔を空けての同一重賞制覇はおそらく初めてのこと。
01年当時3歳。今年で10歳を迎えたが、シルクロードS4着、春雷S2着と気を吐き、全く衰えを感じさせない。坂路での追い切りは50秒1−36秒6−24秒3−12秒2(強め)。ラスト600メートルは12秒前半のラップでまとめた。元気いっぱいだ。
松田正弘厩舎の解散によって06年から引き継いだ阿部師は「エビ(屈けん炎)で競走生命を絶たれかけたが、牧場のスタッフが2年近く時間をかけて治した馬。何とか勝たせて、その努力に報いたい。十分勝てるところまで来ている」と力を込めた。
7年前の首差2着馬は阿部師が管理したジョンカラノテガミ。今リキアイタイカンを世話する厩務員はジョンカラノテガミを担当していた。トレーナーは不思議な縁を感じながらレースに送り出す。

今年10歳のリキアイタイカンがまだ現役馬として走り続けているのも驚嘆に値しますが。
今回はリキアイタイカンの話ではありません(ゴメンね)。


久しぶりに聞く彼の名前に。
とても懐かしい気持ちにさせられました。


1997年11月23日。
さる後輩の家で徹夜で遊んでいるうちに朝を迎えた自分は。
ふと思い立って、ジャパンカップが開催される東京競馬場に1人出掛けました*1


第1競走が始まる前の競馬場なんて。
来場者も少なく、閑散としたものでした。
とりあえず、運試しでもしてみようかと思って。
第1競走の3歳新馬*2を、100円だけ買ってみようと思いました。


レーシングプログラムに目を通していると…。


「…2枠2番、ジョンカラノテガミ!? なんじゃこの珍名さんは!?」。


1頭のウマから目が離れられなくなってしまいました。
前走のデビュー戦は7頭立て6着。当時は出走が可能だったいわゆる「折り返しの新馬戦」での出走でした。


「まあ、7頭立てのレースだし、複勝ならいいかな…」と、捨てる気でジョンカラノテガミ複勝を100円買ってみたところ。
彼はキッチリと2着に入ってくれて、100円を200円にして返してくれました。


「この珍名さんやるなあ。そのうち準オープンぐらいまで出世してくれれば、TVにも映るし面白いかも」。
彼の名前は、このレースで確実に自分の胸の中に刷り込まれていきました。


ところがところが。
デビュー6戦目で初勝利を上げた彼は。
古馬になってから4戦3勝で一気にオープン入り。
夏のクラス替え(…なんてありましたよね。今となっては懐かしい)で降級後も準オープンで2勝して再度オープン入りすると、6歳夏の福島オープン特別バーデンバーデンカップを快勝。
「準オープンぐらいまで出世してくれれば…」と思っていた彼は、なんとGIスプリンターズステークスにまで駒を進めてしまったのです。
しかも、結果は5着! 掲示板の一角を占めてくれる大健闘ぶりでした。


そんな彼が、1番人気で重賞初制覇に挑んだレース。
それが2001年のCBC賞でした。
結果、3歳馬リキアイタイカンにクビ差屈して重賞制覇はならなかったものの、「ただの珍名さんではない」ところは十分見せつけることはできたと言えるでしょう。


2003年1月に骨折が判明した彼は。
重賞にあと1歩届かず、登録を抹消されることになりました。
乗馬になるのかと思いきや、なんと「種牡馬入り」とのこと!
「名は身を助ける」だったのでしょうか?


しかし。
さりとて、重賞未勝利の種牡馬に種付け希望が殺到するわけもなく。
その後、彼のニュースはトンと聞かなくなってしまいました。


…今でも元気にしているのでしようか、彼?
この記事読んで、ふと郷愁に駆られたように心配になってきました。


たとえ種牡馬は引退したとしても、どこかで余生を送っていてくれればいいなあ…と思わずにはいられません。


ジョンカラノテガミで余談2話。
まず1つ目。
このウマ、1999年1月24日の第8競走「5歳上500万下」*3岡部幸雄騎手が通算2,500勝を達成した時の騎乗馬だったのです。
随分とメモリアルな場面で名前を残しているものです*4


もう1つ。
ジョンカラノテガミ
最初の馬名申請の際は「カナダカラノテガミ」という名前で申請されたそうです。
当然却下されたとのこと。
馬主さん…。


★★どうしても「カナダからの手紙→畑中葉子→(後略)」という連想ゲームは避けられないところ。人気blogランキング★★

*1:ちなみに、その年のジャパンカップの勝ち馬はピルサドスキーでした。

*2:馬齢表記は当時の数え年によるものです。今で言う「2歳新馬戦」です。

*3:これも馬齢表記は当時の数え年によるものです。

*4:これまた余談ですが…池田鉄平騎手なんて、初騎乗初勝利を上げたときに騎乗していたウマの名前は「オトコマエ」ですからね(笑)。初勝利ですからこの先彼が引退するまでずっと語り伝えられるんでしょうね、オトコマエ…。