終わりました。

「光縁寺・山南敬助ほか新撰組隊士墓についての考察」と題した研究発表は。
激賞されることもなく、さりとて酷評されることもなく、まずまずそれなりの仕上がりで終えることができました。


新撰組モノって。
ブログとかでよもやまを語る分にはいいんですよ。人口に膾炙しているネタ山ほどありますし。
ところが、学術的に研究をする題材としては…あまりにも文献資料が少なすぎるんですよね。西村兼文の『新撰組始末記』は明治20年代に書かれたもの、永倉新八の回想談をまとめた『新撰組顛末記』は大正年間のもの、そして子母澤寛のいわゆる「新選組三部作」に至っては「半分以上がフィクション」と考えられている…といったわけで、幕末当時の1次資料がほとんどない状態なんですよね。
おそらく…維新の際に、敗軍であった幕府方、特に京洛で勤皇の士を多数斬っていた新撰組関係の資料は、ほとんど処分されるなり何なりして散逸してしまったのでしょう。
そんななかで、山南敬助をはじめ多くの新撰組隊士が葬られている光縁寺の過去帳『往詣記』とめぐり合えたのはラッキーでした。そこから読み取ることができること、そして、山南の墓の両サイドに彫られた4人の隊士の名前に込められている謎解きのカギとは…そんな感じで、持ち時間の15分はあっちゅー間に終わってしまいました。


せっかくなので、今回の発表の内容は、そのうち弊ブログでも紹介させていただければ…と思っています。
今までの「日本史マニア」の域を超えた、本格的な学術研究のエントリになってくれることを期待しつつ、時間の許す限り筆を進めていきたいと思っています。
ぜひぜひご期待ください。


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