石碑は語る。

さて。
予告どおり。
寺田屋関係のエントリを追加させていただきます。


寺田屋、時勢が動いた出来事を数多く見守ってきた現場だけのことはあって。
数多くの石碑が残されていました。
ここでは、その一部を紹介させていただきます。


↓「寺田屋騒動記念碑」。

文久2年(1862年)4月23日、過激な薩摩藩有馬新七らが、島津久光の命を受けた同じ薩摩藩士によって上意討ちとなった事件の記念碑です。


↓篆額は、あの有栖川宮熾仁親王です。


坂本龍馬銅像がありました。

台座に「十四代 寺田屋伊助」の銘があります。
寺田屋の当主は代々「伊助」を名乗る風習があったようで、お登勢の夫も「伊助」でした(6代目に当たるようです)。ただ、大正期に入って当主の家系は絶えたとのことで、この「十四代」という方は血縁関係はないようです。


↓「恩賜紀念之碑」。


↓題額は、海援隊とも縁の深かった香川敬三です。


↓「贈正四位坂本龍馬君忠魂碑」。

なぜか横たわっていました。


最後にオマケ。
↓三十石船が往来していた水路の写真です。


日本史を学ぶ者のはしくれとして。
「史実と伝説の境界」はキチンと線引きをしなくてはならないところではありますが。
それでも、幕末維新史は、まだまだ奥深いネタが数多く眠っていると思います。
自分の研究テーマとは別個に、深く惹かれるところなのです。


★★ガイドさんが語る「倒幕運動」についての説明にいくつか異を唱えようとして、慌てて口をつぐんだ自分でした。人気blogランキング★★