忘却とは忘れ去ることなり(9)

…調べるまで、まるで正解思い出せませんでしたよ。
困ったものです自分。


シャリヴァリ紙の記者だった彼は。
パリ・キャプシーヌ大通り35番地のナダール写真館で、「画家、彫刻家、版画家の協同組合」という名称のもとに1874年4月15日から1か月間催された展覧会を取材したとき、出展者たちを揶揄する意味で、クロード=モネの『印象・日の出』という絵画のタイトルからとった「印象主義者たち(Impressionnistes)」という言葉を使い、それが「印象派」という言葉の嚆矢となりました。
始まりは「蔑称」だったのですね。


頭の中でずっと「ルイ=ヴォークセル」という別の人物の名前が渦巻いていたのですが。
よくよく調べ直してみると、彼は「野獣派」という言葉を最初に使用した人物であるようです。
ヴォークセルは、19世紀末から20世紀にかけて美術評論家として活躍していたフランスの人物で、1905年、『ジル・ブラス』紙の紙上で、アルベール=マルクの『子供のトルソー』というイタリア風の彫刻がアンリ=マティス、ジョルジュ=ルオーらの激しい色彩の絵画に囲まれていた「サロン・ドートンヌ」第7室の様子を「野獣たちに取り囲まれたドナテルロ」と評し、それが「フォーヴィスム(野獣派)」という言葉が生まれるきっかけとなりました。
このときヴォークセルは、マティスやルオーの作品を「純粋色の狂宴」とまで評したとのことです。
やはりこちらも「蔑称」から始まった用語でした…ということで。


★★美術史は一通りなぞったんだけどなあ…。人気blogランキング★★