いよいよ核心が見えてきそうですね。

卑弥呼の墓か、築造期一致 歴博研究グループ調査」(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/259633/

邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳(全長約280メートル)の築造時期が、土器などの科学的分析で240〜260年と推定されることが、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループの調査で分かった。
中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は248年ごろに死亡したとされる。研究グループの春成秀爾同館名誉教授(考古学)は「時期が一致し、卑弥呼の墓の可能性が極めて高くなった」と指摘。畿内説と九州説に2分される邪馬台国の所在地論争に影響を与えそうだ。
 研究グループは「放射性炭素年代測定法」と呼ばれる手法を使い、箸墓古墳の周濠(しゅうごう)から出土した築造時とみられる土器10点に付着した炭化物を分析、測定値を年輪年代測定法の年代で換算した。この手法には、精度や測定データ処理に対し、慎重な見方をする研究者もいる。


(写真:奈良県桜井市箸墓古墳

箸墓古墳、240〜260年築造 卑弥呼の死亡時期と一致 炭素年代で判明」(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/259785/

邪馬台国の女王、卑弥呼の墓との説もある奈良県桜井市箸墓古墳前方後円墳、全長280メートル)について、古墳の周囲から出土した土器の放射性炭素年代測定と呼ばれる科学分析の結果、西暦240〜260年に築造されたとの研究成果を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究チームが研究成果をまとめたことが29日、わかった。248年ごろとされる卑弥呼の死去した年代と合致し、邪馬台国の所在地論争に一石を投じそうだ。31日に早稲田大学で開かれる日本考古学協会で発表される。
研究チームは、同古墳前方部近くの周濠から発掘された「布留(ふる)0式」と呼ばれる土器の表面に付着した炭化物を測定。「放射性炭素年代測定法」は経年による炭素の減少具合で、土器の年代を割り出す科学的な手法で、測定の結果、240〜260年の範囲に相当したという。
測定した炭化物は、食べ物の煮炊きの際に土器に付着したとみられる。発掘状況から土器は、箸墓古墳の完成間もない時期に廃棄されたとみられ、築造時期に近いとしている。
箸墓古墳はこれまで、土器の形式によって年代を絞り込む考古学的手法によって、270年前後の築造とされ、中国の史書「魏志倭人伝」に記された卑弥呼の次の女王、壱与(いよ)の墓との説もあった。
放射性炭素を利用した年代分析は、炭化物に不純物が混じると年代がずれ、誤差が大きいとして、批判的な見方も根強い。研究チームは、箸墓古墳出土の土器だけでなく、周辺の古墳で見つかった土器でも測定を試みており、ここでも、同様の年代が出たことから、「分析結果の精度は高い」としている。


(写真:炭素年代測定で240〜260年のものと分かった箸墓古墳の土器(奈良県橿原考古学研究所))

…記事中にもあるように。
分析結果に対して慎重な向きもあるようです。
しかし、考古学的にも「3世紀中期から後期の築造」とされていた箸墓古墳の築造年代がそんなに的外れなものではないことは、これでかなり確率高くなってきました。


しかし。
以前のエントリでも言いましたが(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20090321#p1)。


確かに、重要な状況証拠の1つではありますが。
今回の結果をもって「邪馬台国畿内説で確定の赤ランプ!」と決定づけるのは安易であるのかもしれません。
確率は高くなってはきていますが。


稲荷山古墳鉄剣銘のような。
新たな出土品による決定的な証拠が出てくるその日まで。
畿内説」と「九州説」は決着がつかないのかもしれませんね。


★★確かに自分も「…現時点ではやや畿内説有利かな」とは思いますけどね。人気blogランキング★★