…そういう由緒だったのか。

昨日のエントリの関連です。


大國魂神社まで車を走らせていると。
「是政」という地名が目につきました。
JRAの競走名にも「是政特別」というものがあるので、その響きは見知ってはいたのですが。


帰宅後。
例によって、由緒を調べてみました。


地名の「是政」は。
かつてこの辺りを開墾した武士・井田是政にちなむのだそうです。


こちらのブログに詳しく掲載されていましたので、転載させていただきます(http://blogs.yahoo.co.jp/kyuhzaemon/46908464.html)。
(なお、便宜上、旧字・旧仮名遣いは適宜改めさせていただきましたので、ご了承ください)

この地名は、「井田摂津守是政」という人物の名に由来するものといわれています。
井田家の系図によると、井田摂津守是政は畠山重忠の末葉で、小田原・後北条氏に仕えておりましたが、天正18年(1590)の八王子城落城、更に本拠地・小田原城の落城、主家・北条氏滅亡の後、この地に移り住んで村を開拓し、これが是政村となったといわれます。
その一方、井田氏は戦国時代よりも遥か以前からのこの地の土豪と考えられる、との説もあるようです。

ちなみに。
この井田是政なる人物。
東京競馬場とも大いに関連のある人物だとご存知でしたか?


東京競馬場、3コーナーあたりにある、「府中の大ケヤキ」。
「…なんであんな邪魔なところにあるのに、撤去しないの?」という思いを、競馬中継見ていて思ったことのある方は少なくないはずです。


あのケヤキの近くに。
他ならぬ、井田是政の墓があるのだそうです。


再び、前掲のブログより抜粋させていただきます。

そして、東京競馬場には古くから次のような「怪談」が伝えられております。


「よく競走馬が故障(ケガ)をしたりする」
「木を切ろうとした関係者が次々原因不明の病気で亡くなった」
「調教をしようとして欅の横を通ると白い着物のザンバラ髪の一団が歩いていた」
「馬が第3コーナーを通過する時、走る気を喪失してしまう」
「第3コーナーを通過すると馬が暴れ、騎手を落とそうとする」
昔にはスイノオーザ(騎乗していた丸目騎手は再起不能)、ハクエイホー、キームスヴィミー、ヒデノホマレ、タマホープ、ハクホウショウ、ジョセツ、最近ではサイレンススズカ天皇賞で故障(のち、予後不良により安楽死処分)になったのが有名ですね。


この名馬達が故障した場所こそが、「魔の第3コーナー」の大欅の前(実際は欅ではなく榎とも聞く)です。
TV中継で見ていると、突如大きな欅の大樹が映って、競走馬の姿が一瞬見えなくなる場所です。
ここはこの競馬場でのゴール前の勝負所でもあり、確かに故障する確率は高いかも知れませんが、それにしてもやたらと故障が多い場所ですね・・・。


さて、そしてこの競馬場の敷地なのですが・・・。
何と、井田家一族の菩提寺・安養寺を立ち退かせた土地なのです!
現在、安養寺は、競馬場南側に移転されています。檀家の墓地と共に。


しかし、一軒だけ、墓地の立退きを拒絶した家がありました。
他ならぬ「井田家」です。
父祖たる井田是政公の墓所を他所に移す訳には行かない、と。


結局、井田是政公はじめ一族の墓地は競馬場内、第3コーナー内側に残されたまま、競馬場は供用開始されました。


そして・・・その後、この老欅の大樹を競馬場の邪魔になるとして伐採する計画が持ち上がったのです。
さあ、いざ欅を切るということになり、まず3本の枝分かれしている内の1本を切ったのですが、その枝を切った職人がアッという間に急死、慌てて他の職人を探すも皆尻込みして引き受けなかったそうです。
それでも数年後、気合の入った威勢の良い職人が枝を切った、しかしやはりその職人も急死したといわれています。それ以来、この木を切る職人は現れないようです。
その後、その大欅と第3コーナーの間に「馬頭観音様」を御祀りし、霊が成仏してくれるのを願っているといいます。

…確かに。
サイレンススズカの故障は、大ケヤキの直前でしたよね。
快調に飛ばしていた彼が、一瞬躓いて失速した直後に、ケヤキの向こう側に彼が消えたように見え、次々と後続馬にかわされていった光景、今も脳裏に残っています。


あのケヤキにこんなエピソードがあったなんて。
小耳には挟んでいましたが、詳しくは知りませんでした。


★★次に府中で競馬が行われるのは…涼しくなった頃ですね。人気blogランキング★★