そういえば、このエピソードは聞いたことがあった。

21日にも、衆議院が解散される見通しのようですね。


衆議院が解散されると。
次回総選挙に出馬せず、政界を引退する意向を既に表明している衆議院議長河野洋平氏が、日々更新中である歴代最長衆議院議長在職記録にピリオド打つことになります。
予測どおり21日に衆議院がされたとすると、その在職期間は2,029日ということになります。


河野洋平氏が、衆議院議長としての在職期間最長記録を更新したのは、平成20年(2008年)11月20日のこと。
それまで大岡育造が持っていた、1,785日の記録を上回ってのものでした。


さて。
日本史マニアの当方としましては。
当然のように、この大岡育造なる人物のことが気になるわけでして。
いろいろ調べていくうちに、こんなエピソードに突き当たりました。
こちらのサイト(http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/201_250/218_02.htm)から引用させていただきます。

2月10日、桂太郎首相は、議院の総理室で、閣僚と解散か否かを話し合っていました。それを見た大岡育造議長(58歳、政友会創立委員)は、長州閥の先輩である桂太郎(66歳)を群集が見える窓際に連れて行き、「この議院は憤激した民衆にとり巻かれている。善処しなければこの民衆は血を見るまでは収まりませんぞ」と語気強く説得しました。
部屋を出た桂太郎首相は、部屋に戻ってくると、「私はやめることにした。諸君も辞表を書いてもらいたい」と申し出たといいます。

…大正政変の際に、桂太郎に窓の外で荒れ狂う民衆の怒りを説き辞職を勧めた人物がいたことは記憶していたのですが。
それがこの大岡育造であったとは知りませんでした。


大岡育造は。
桂太郎総辞職後に成立した第1次山本権兵衛内閣で文部大臣も務めています。


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