紫陽花の季節からは真裏だったのですが…
妻と娘とともにドライヴしました。
あてもなく鎌倉をプラプラ車走らせて、気が向いたところで降り立って見学しよう…という、なんとも風任せな旅路でした。
鶴岡八幡宮は人多過ぎでスルー。
建長寺は近くに駐車場を見つけられずに断念。
…と来て。
次に目をつけていた。
明月院を訪ねました。
「あじさい寺」として名高い明月院は。
山号を「福源山」といい。
康元元年(1256年)に北条時頼が建立した「最明寺」を前身とします*1。
時頼はこの年の11月23日にこの寺で出家を果たし。
「最明寺入道」と呼ばれました。
そして、7年後の弘長3年(1263年)11月22日、37歳を一期に永眠しています。
時頼の死後。
最明寺は、廃絶してしまったのですが。
息子の時宗が蘭渓道隆を開山として招き、「禅興寺(禅興仰聖禅寺)」としてこれを再興しました。
南北朝時代に入り。
関東管領・上杉憲方がこの寺を中興した際に、伽藍を完備し、寺域を広大としました。
禅興寺は「五山十刹の制」でいうところの「十刹」の1寺として位置づけられるに至りました。
明月院は、その頃に禅興寺の塔頭として整備されたといいます。
(寺伝によると、平治の乱で没した首藤俊通の子・経俊が、亡き父の菩提を弔うため、永暦元年(1160年)に「明月庵」という草庵を建立したのが草創とされていますが)
明治になり。
廃仏毀釈運動の影響もあったのか。
禅興寺は廃寺となっしまいます。
そして、塔頭であった明月院だけが残され、今日に至っているとのことです。
…と前置きはさておき。
娘を抱っこ紐で抱きつつ、3人で参拝。
↓山門。
↓「福源山」の看板が。
↓本堂。
たまたま普段は公開されていない「北条時頼坐像」が特別公開されていました。
写真はNGだったので、↓イメージ検索で出てきた画像を拝借。
↓枯山水の庭園。須弥山を型どり、仏教観を表現しているのだとか。
↓開山堂。
↓「明月院やぐら」と呼ばれるやぐら。
↓説明は…読んでください(笑)。
↓北条時頼廟所。
↓ちゃんと、北条氏の紋「三ツ鱗」が付けられています。
↓時頼の墓。
娘としては。
生まれて初めての「日本史的史跡」との邂逅になったのですが。
まあ…記憶には残らないでしょうね(笑)。
いずれ、もろもろ語って聞かせようと思います。
オマケ。
近所の喫茶店で。
↓抹茶とうさぎ饅頭をいただきました。
これが、なかなかに美味。
さらにオマケ。
↓利用した駐車場の看板。
12月31日〜1月4日が特別料金なのは「初詣料金」で分かるのですが。
6月中も特別料金なのですね。
「紫陽花料金」とでも言うべきでしょうか。さすが。
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