自分も「片雲の風」に誘われてみたい。

松尾芭蕉が『奥の細道*1の旅に出発したのが。
表題にあるとおり、元禄2年(1689年)の今日3月27日です*2


松尾芭蕉といえば「不易流行」。
「永遠に変わらない本質は、実は常に新しく変化する時代の流れのなかにある」という独自の俳諧論です。
一見パラドクシカルなようですが、「常なる変化こそが変わらない本質」ということなのでしょうね。


その「不易流行」について、思い出されることが1つあります。
大学3年生のとき、近世文学演習の題材が『奥の細道』でした。
担当教授が、第1回目の授業に際してこの「不易流行」について長々説明した後、ふとこんなことを言いました。
「えー、この芭蕉の『不易流行』という概念を考えるとき、私の頭の中で常に思い起こされるフレーズがあるのです。…それはー、中島みゆきの『回る回るよ時代は回る』というフレーズなのですがー」。
中島みゆき芭蕉! こりゃまた意外なようで案外しっくり来そうな組み合わせです。当時20歳の自分は大真面目に語る教授の言葉に笑いをこらえるのが必死だったんですけど…。


芭蕉忍者説」なんてのは。
面白い説だとは思うのですが、「芭蕉伊賀上野出身」ということ以外には論拠として脆弱であるという気が個人的にはしなくもありません。
深読みをしようと思えばいくらでもできちゃうところがまた悩ましいんですけどね。「芭蕉が松島で1句も詠んでいないのは、仙台藩の内情を調査していたためである」「特に、瑞巌寺は軍事要塞に擬せられるほどの規模があったので、芭蕉瑞巌寺を丹念に調べていたのだ」などの類です。


後世芭蕉の作と伝えられている「松島や ああ松島や 松島や」の句は、実は芭蕉本人の作ではないといいます。
江戸時代後期の狂歌師・田原坊が詠んだ「松島や さて松島や 松島や」の句の「さて」が「ああ」に変化して、芭蕉作として伝えられたのだといいます*3
そういえば、昔さる本で「松島や ああ松島や 松島トモ子という句(川柳?)を見つけて、くだないと思いつつも吹き出してしまったことを思い出しました。ライオンに噛まれた彼女、現在元気にしているのでしょうか…。


★★…と、麦茶を飲みながらエントリを締める。残念ながら麦茶の銘柄は不明。人気blogランキング★★

*1:原典では題名は『おくのほそ道』という表記が使われていて、中学校の国語の教科書では『おくのほそ道』という表記が採用されているようですが、ここではあえて世間でよく知られた『奥の細道』という表記のほうで通すことにします。

*2:さて、ここで懐かしの「太陽暦に換算すると…」いってみましょう。西暦1689年5月16日の出来事です。

*3:詳しくはこちら(http://www.bashouan.com/puBashous.htm)のサイトをご参照ください。