あの頃は、もう戻らない…。

オグリキャップが逝ってしまいました…。


「オグリさらば…アイドルホース25歳で死す」(http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20100704-649225.html

芦毛の怪物」オグリキャップが3日、北海道新冠町の優駿スタリオンステーション(S)で放牧中の事故で死んだ。25歳。地方笠松から1988年(昭63)に中央入りして重賞6連勝を記録し、G1を4勝。引退レースの90年有馬記念で感動の復活Vを果たした。ハイセイコー以来の第2次競馬ブームの立役者で、種牡馬引退後は功労馬として余生を送っていた。
オグリキャップが、放牧中の不慮の事故で、25年の生涯を終えた。この日、いつも通りに午前10時から放牧されていたが、午後2時ごろ、関係者が放牧地に出向いた際、右後ろ脚の骨折が判明。放牧中に転倒したものとみられ、治療のかいなく息を引き取った。
90年に現役を引退後、91年から優駿スタリオンSで種牡馬生活をスタート。07年を最後に種牡馬生活を終え、以降は同所で功労馬として余生を送っていた。芦毛の馬だけに発症する「黒色腫」を患いもしたが、生産界では短命と言われる芦毛馬としては長生きをしていた。25歳は人間なら80歳ぐらい。ここ数年は一般見学は見送られていたが、5月からスタリオンS内の入り口付近のパドックに移り、見学を再開していた。
競馬人気に多大な功績を残した国民的アイドルホースだった。87年に地方笠松でデビューし8連勝を含む12戦10勝の成績を挙げた。素質を評価され、明け3歳の88年1月に中央競馬移籍。クラシック登録がなく皐月賞、ダービーへの出走はかなわなかったが、いきなり破竹の重賞6連勝を果たし、秋には同じ芦毛タマモクロス天皇賞有馬記念で死闘を演じた。
1頭数千万円が珍しくない中で、牧場から数百万円で取引された。地方競馬出身で良血とは言い難い血筋ながら、中央のエリートを次々と負かす走りから、瞬く間に人気者に。今では珍しくなくなった競走馬のぬいぐるみの元祖だった。
89年ジャパンCでは東京芝2400メートルを2分22秒2の当時の世界レコードで走破(2着)。引退レースの90年有馬記念では、直前2戦の敗戦から燃え尽きたとうわさされる中、武豊騎手とのコンビで奇跡の復活勝利を遂げ、日本中を感動の渦に巻き込んだ。中山競馬場を埋めた17万7779人は前年6万8912人の実に2・5倍を超え、レース史上最高。レースの売り上げ480億円も当時最高を記録した。この年初めて3兆円を突破した中央競馬の総売り上げは、オグリ景気を境に右肩上がりで伸び、97年には4兆円に達した。
引退式は異例の笠松、東京、京都の3競馬場で実施された。引退後は当時国内最高の18億円でシンジケートが組まれ、種牡馬入り。残念ながら「走る能力」は伝えられず、中央では重賞勝ち馬を送り出すことはできなかった。だが人気は衰えず、92年には笠松競馬場で「オグリキャップ記念」が創設。05年には笠松競馬場に登場、08年にも東京競馬場で、元気な姿も披露した。
優駿の村田繁実代表は「競馬サークルを超えて多くの人に愛され、また地域にも多大な貢献をしてくれた。今はただ冥福を祈ります」と死を惜しんだ。スタリオンSでは7月中旬にも、お別れの会を開きたいとしている。


(写真:90年12月23日 引退レースの有馬記念を制したオグリキャップ

…放牧中に転倒して骨折ですか。
予後不良にするしか手の打ちようがない重傷だったんですかね(ファンの手前、そこまで詳細な情報は公開できなかったのかもしれませんが…)。


オグリさん。
一昨年の11月に東京競馬場に来てたとき、「5本脚」で元気なところ見せていたのですが*1
その元気さが仇になって、放牧中に骨折しちゃったんですかね…。


「オグリブーム」の頃。
自分はまだ競馬を知りませんでした。
なので、どれだけ彼がアイドルばりの人気を誇っていたかは、肌では認識できないままです。
でも、これだけは言えます。それまで競馬が持っていた負のイメージを80年代末に払拭した最大の功労者は、騎手なら武豊、そしてウマならオグリキャップなのだと思います。
彼なくして、後のナリタブライアンディープインパクトのブームは成り立ちえなかったのではないかと。


ライヴァルホースにも恵まれましたよね彼。
初期ならタマモクロスとの「芦毛対決」、後にはイナリワンスーパークリークとの「3強対決」とか。
マイルの世界ではバンブーメモリーなんて存在もありましたっけ。
脇を固めた実力者たちの存在も、彼を輝かせたのではないかと思うのです。


彼以降。
「GIを連闘で使って、そのいずれも連対」なんてとてつもない偉業を達成するウマは皆無です。
(もっとも、この使い方はオーナーサイドの意向だったらしいですが、道義的にいかがなものだったか甚だ疑問ではありますが…)
そういった意味でも、存在感はピカイチでした。


2002年。
優駿スタリオンステーションで、1度だけ彼にあったことがあります。
雨が降ってきて、放牧中止になってすぐ引っ込んじゃったけど。
↓そのときの写真。手前・マヤノトップガンの奥にアタマだけ映っているのがオグリ。

「…思ったより真っ白になってるなあ」というのがそのときの感想でした。
まさか、最初で最後の邂逅になるとは…。


今は「お疲れさま。ゆっくり休んでね」としか掛ける言葉はありません。
さらばアイドルホース!


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*1:詳しくはこちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20081110#p1)をご参照ください。