それでも陵墓マニアは帰ってくる(6)

…またほぼ1か月間が空いてしまいました。
前回のエントリはこちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20100620#p1)です。


後亀山天皇陵から車を走らせ。
大覚寺の裏手を回ると。
↓こんな標柱が立っています。


嵯峨天皇陵は、ここから山を登ったところにあるのだそうです。


勇んでいざ!と登り始めましたが。
…10分ほどひたすら登り続けても、目指す陵墓には辿り着きません。
汗はダクダク、足はガタガタです。日頃の運動不足がモロたたっている感じです。

…やっと見えてきました。
長かった…。

以前のエントリで「標高にして80mは一気に登ったでしょうから」と書いたのですが(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20100518#p1)。
トンでもない! 『歴史検証 天皇陵』(新人物往来社)に掲載されている「淳和天皇陵と嵯峨天皇陵」(山田邦和)によると「大覚寺の北西方向の標高二〇〇メートルの尾根上」だそうです。よく登ったなあ自分…。


嵯峨天皇嵯峨山上陵です。
ホントに「山上」でした。



嵯峨天皇嵯峨山上陵」の石碑。

やはり、灯籠にも「嵯峨山上陵前」の文字が入れられていました。

一瞬日が差しました。

↓山頂から見下ろした景色。

遠くに広沢池を見つけることができます。
絶景でした。


なるほど、入口付近には↓こんな看板があったんですよ。


ナメてました。


Google Earth」で確認すると。
↓どれだけ登ったのか、一目瞭然です。


右下の道路っぷちから、左上の陵墓まで。
山肌をスイッチバックする参道を一気…ですから。
そりゃもう、堪えました。


これを事前に見ていれば、キチンと心身ともに準備して出掛けたのに…。
おそらく、リアルではもう2度と訪れることはなさそうです、この陵墓。


嵯峨天皇
平安時代初期に在位した、ご存知「三筆」の1人です。


嵯峨天皇は。
承和9年(842年)7月15日、嵯峨院において57歳で崩御するわけですが。
崩御に際して、徹底的な薄葬を命じる遺詔を残しています。


★★…長くなりそうなので、一旦切ります。人気blogランキング★★