それでも陵墓マニアは帰ってくる(9)

…ここからは、7月22日〜24日に訪れた陵墓のレポートになります。


牧之原SAで3時間半仮眠を取ったわりには、順調すぎるぐらい順調に道中は進み。
8時半には大津ICに到着、9時前には京都の市街地を走っていました。
「東山五条」の交差点名を見つけたときは感慨深かったですよ。「…ああ、また戻ってきた」って。
早くに到着したので、3日間たっぷりと調査ができそうです。ワクワク。


最初に到着したのは。
何度も訪れたことがある、泉涌寺でした。


泉涌寺
「御寺」と称されるこの寺院は、仁治3年(1242年)1月9日に四条天皇が崩じた際、ここで葬儀が行われて山陵「月輪陵」が築かれたことから皇室との縁ができました*1
室町時代以降は、歴代天皇がこの寺院で荼毘に付されています*2泉涌寺には、現在も後土御門、後柏原、後奈良、正親町、後陽成の5天皇の灰塚*3が現存しています。
さらに、承応3年(1654年)9月20日崩御した後光明天皇以来、江戸時代の歴代天皇はみな月輪陵*4に葬られてきました*5
余談ですが…後光明天皇の葬儀の際、先例に従い天皇が荼毘に付されるということを聞いた宮中出入りの魚屋・奥八兵衛が、天皇が仏教を排して儒学を尊んでいたことから「火葬は亡き天皇の意思に反する」と土葬により天皇を葬ることを、仙洞御所、後宮、貴族、泉涌寺など方々に訴え、遂に後光明天皇は荼毘に付されることなく土葬で葬られたといいます。そして、これが先例となり、以降の天皇は、昭和天皇に至るまで全て土葬で葬られています*6


車を出たら…とにかく暑い!
茹で上がらないように、パッパッと月輪陵まで回ることにしました。
孝明天皇後月輪東山陵後堀河天皇観音寺陵は、かつて訪問したことあるので、今回は割愛させていただくことにしました。


↓とにかく、陽射しが強い! 東に向かって歩いているので、写真はおしなべて逆光です。

↓月輪陵拝所の入り口です。

人大杉

「二十五陵五灰塚九墓」ですから。「ほぼ小学校1クラス分」ですよね(笑)。


↓拝所です。


以前から何度も書かせていただいているとおり。
我々一般の拝観者が立ち入りできるのは、ここまで。
この拝所の奥に各天皇の石造九重塔があるのですが…ここから先はオフリミットです*7


興味は尽きないのですが。
決まりなので仕方ありません。


諦めて、次の目的地へと向かったのですが。
…この後、とてつもないドラマが待ち受けていました。


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*1:四条天皇泉涌寺に葬られた理由については、以前こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050915#p1)で語らせていただいています。よろしかったら、そちらもご参照ください。

*2:泉涌寺で荼毘に付された後、深草北陵の法華堂に納骨される」というパターンがデフォルトでした。

*3:読んで字のとおり、天皇その他の皇族の遺灰を収めた塚です。

*4:光格天皇仁孝天皇の陵号は「後月輪陵」といいます。陵域は同一区画内になります。

*5:光明天皇の先々代に当たる後水尾天皇天皇の父)、先代に当たる明正天皇天皇の姉)も月輪陵に葬られていますが、後光明天皇崩御時にはまだ健在でした。時系列順で言えば、「江戸時代の天皇で初めて泉涌寺に葬られた天皇は後光明天皇」となります。

*6:ただし、仁孝天皇までは、土葬で葬られてはいたのですが、葬儀においては形式上火葬の作法が用いられていました。これらが全て廃止されたのは、幕末、孝明天皇の葬儀からです。

*7:よろしかったら、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20100612#p1)もご参照ください。