それでも陵墓マニアは帰ってくる(10)

すぐつづきいきます。


月輪陵を後にした後。
泉涌寺の別院である雲龍院を訪ねました。
雲龍院は、山号を瑠璃山といい、応安5年(北朝南朝:文中元年)(1372年)後光厳上皇の勅願により竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)を開山として建立されました。
竹巌聖皐は、後光厳上皇後円融天皇の帰依を受け、雲龍院、さらには龍華院(現在では雲龍院と合併して1つの別院となっています)で如法写経を創始したことで知られています。
現在、雲龍院には後円融天皇の宸筆が残されています。自分も見学させていただいたのですが、その内容は次のとおりとなっています(陵墓とは直接関係ないのですが、引用します)。

如法写経はその功徳甚深なり。顕当の善根何事か豈之にしかんや。朕三十有余歳に至る、さしたる悪罪なしと雖も亦殊善事を修めず。恐らく到来苦を受け万却に輪転せん。故に聖皐上人に命じて龍華院に於て毎年闕かさず彼の写経の勤行を始め置く、朕の逆修のためなり。万世敢て退転せしむなかれ。没後は必ず忌日を以て修中に当て菩提を祈るものなり。

今回のレポートの本旨から外れるので詳述は避けますが、なかなかに興味深い内容の宸筆です。「30歳代に至り、さしたる悪罪はないもののことさら善行も積んでいないので、崩後苦しむだろう」と天皇が考えていたこと、竹巌聖皐に「逆修*1のために」如法写経を命じたこと*2、さらに「崩後も忌日に菩提を祈る」よう命じたこと…などなど、当時の天皇の仏教思想に根ざした信仰の一端を垣間見ることができます。


このことが縁となってか、後光厳天皇後円融天皇の2代の天皇は、崩後、泉涌寺で荼毘に付された後、雲龍院の後山に分骨されて葬られました*3。さらに、続く後小松天皇称光天皇も、泉涌寺で荼毘に付された後、後光厳天皇後円融天皇分骨所の傍に灰塚が築かれました(称光天皇の灰塚は伝承のみで現存していませんが)。


今回。
雲龍院を訪ねたのは。
この「後光厳天皇後円融天皇分骨所、後小松天皇灰塚」を見学するためでした。


お寺にいらっしゃった方に聞いてみたのですが。
「正確な場所はちょっと分からないのですが…」とのこと。


許可を頂き。
寺の背後を散策させていただくことにしました。


結局、お目当ての分骨所・灰塚は見つけることができず。
暑さに汗がしたたり落ちてきたので、無念ですが撤収しようと思い。
ふと、けものみちチックな通路の脇に目を落としてみたら…。


…壮観な光景が展開されていました!

なるほど、そういえば「月輪陵内部の石造九重塔が見えるポイントがある」とあるサイトで見たことあったのですが。
まさか、ここがそのポイントだったなんて!


最敬礼をした後。
夢中でシャッターを切りました。



…以前に紹介した↓こちらの画像をご参照ください。

月輪陵・後月輪陵の配置は、実際にはこのようになっています。
この配置図をもとに、↓写真の各九重塔がどの天皇のものか分析するに…。

左奥の塔は光格天皇陵、松の木の右側に重なって見えるのは奥が霊元天皇陵、手前が東山天皇陵、さらに右手側に重なって見えるのは奥が中御門天皇陵、手前が桜町天皇陵、その右手側、石造の門をいただく塔は桃園天皇陵、1番右手は後桃園天皇陵と思われます。

桃園天皇陵(左)と後桃園天皇陵。
余談ですが、各天皇陵にはそれぞれ石造りの柵がめぐらされていますが、門と門扉(菊花紋つき)は陵によってあったりなかったりです。これは例の『山陵』(上野竹次郎:名著出版)に理由が書いてありました。「後光明院天皇*4以来帝陵ヲ此ニ営マルヽモノ十三、皆九層石塔ヲ以テ標シ、塔下石甃ヲ設ケ、石柵ヲ回ラス。但シ在位崩御ノ帝陵ハ特ニ石門ヲ建テ、石門扉ヲ付ス。蓋シ当時ノ制、之ヲ以テ太上天皇ニ比シ奉リテ礼ヲ重クスルモノト云フ」とのことです。
なるほど、在位中に崩御した天皇上皇より「礼ヲ重クスル」ため陵に門と門扉が付けられたのですね。この記述は注目すべきでしょう。江戸時代の天皇13代のうち、この「在位中に崩御」に当てはまるのは、後光明、桃園、後桃園、仁孝の4天皇です。

↑これも壮観な絵柄です。前列は奥から光格天皇陵、東山天皇陵、桜町天皇陵、後桃園天皇陵、後桜町天皇陵(1番右手前)、後列は奥から霊元天皇陵、中御門天皇陵、桃園天皇陵のようです。

↑中央にある後桃園天皇陵と、右側の桃園天皇陵にある門と門扉を確認していただくことができるかと思います。


本来、我々が軽々しく目にしてはならないものだったかもしれません。
でも、思いもかけず、一生に何度もできない貴重な体験をさせていただきました。
再び最敬礼をして、その地を後にしました。


長い長い現地調査は、ここから始まり。
せっかくこのような貴重な場面に遭遇させていただいたわけですから、この先も暑さに負けずガンガンいきたいと思いました。


★★不思議と敬虔な気持ちにさせられました。人気blogランキング★★

*1:「生前に自らの没後の冥福を祈って供養すること」を指します。

*2:余談ですが…このとき後円融天皇によって始められた妙法写経は…なんと今日に至るまで定期的に行われています。毎月27日に雲龍院で行われている写経会がそれです。

*3:天皇とも、遺骨が法華堂内に納められた深草北陵が陵墓とされています。

*4:原文ママ。理由は以前こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20090808#20090808fn1)で語らせていただいたとおりです。