それでも陵墓マニアは帰ってくる(15)

つづきです。
前回のエントリは、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101010#p1)。
番外編は、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101011#p1)。


「国営飛鳥歴史公園館」を後にして。
次なる目的地は。
ほぼ2〜3分程度のほど近くにある、欽明天皇檜隈坂合陵です。


↓明日香村の看板です。

↓濠があって、教科書どおりの前方後円墳

ただ、この濠は、もともと存在したものではなく、元治期から慶応期にかけてこの古墳が陵墓として修復を受けたときに造成されたものであると考えられています。


↓参道。修繕業者の車が停まっています。

↓制札。

↓拝所。よく見ると陵碑がありません。


この欽明天皇陵。
古墳としての固有名は「平田梅山古墳」といいます。


欽明天皇陵については。
元禄の修陵、享保の修陵の際には未治定の状態だったようです。
幕府が実施したこれら修陵事業の成果をまとめた『元禄山陵絵図』『享保山陵絵図』のいずれにも欽明天皇陵の絵図が掲載されていないのが、その根拠とされています。


欽明天皇陵について、初めて「平田梅山古墳である」という見解を示したのは。
享保19年(1734年)並河永によって著された『大和志』という書物です。
蒲生君平も、有名な『山陵志』において、同様に平田梅山古墳を欽明天皇陵にあてています。
さらに、嘉永6年(1853年)北浦定政が著した『打墨縄(うつすみなわ)』の中でも「欽明天皇陵=平田梅山古墳」という説が採られています。


その根拠となったのは。
推古天皇28年(620年)10月の出来事として、『日本書紀』に「砂礫を以て檜隈陵の上に葺く」という記述があり。
その記述と、墳丘全面に砂礫が葺かれている平田梅山古墳の状況が一致していたことであったと思われます。
あとは「檜隈坂合陵」の「檜隈」の地に隣接していること、さらに「坂合」という陵名と平田梅山古墳の地勢が一致することなども論拠とされたようです。


さらに。
谷森善臣も、『山陵考』のなかで「欽明天皇陵=平田梅山古墳」説を支持しています。
(その論拠については、前述のもののほかにも挙げられているのですが…それについては後述します)


このように。
江戸時代後期から明治期にかけて、欽明天皇陵は一貫して平田梅山古墳がそれであると考えられてきて。
その考えは広く支持されていたところでした。
そして、明治政府も当たり前のようにその考え方を継承し、平田梅山古墳を正式に欽明天皇陵として治定するに至りました。


これに対して。
欽明天皇陵は平田梅山古墳ではない」という考え方が提唱されたのは、戦後になってからです。
そう、よく知られる「見瀬丸山古墳こそが真の欽明天皇陵である」という説です。


見瀬丸山古墳は。
以前、天武天皇持統天皇合葬陵についてのエントリで触れたとおり(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101010#p1)。
長いこと天武・持統合葬陵と信じられていたものの、『阿不幾乃山陵記』の発見に伴って、陵墓としての治定を外されました。
が、その後も依然として「御陵墓伝承地」、さらに「陵墓参考地」として指定を受け続けました。


最初に「欽明天皇陵は見瀬丸山古墳である」と主張したのは。
同志社大学教授だった森浩一さんであるといいます。
江戸時代の古文書をもとに分析した石室の構造と規模が欽明天皇崩御した年と一致すること、さらに絵図に描かれた玄室内に安置された2基の石棺が「欽明天皇と生母の堅塩媛のものであると考えられる」ことがその論拠でした。
(堅塩媛については、『日本書紀』の推古天皇20年(612年)2月20日付記事に「皇太夫人堅塩媛を檜隈大陵に改め葬る」とあることから、欽明天皇と合葬されていると考えられています。見瀬丸山古墳の玄室内にある2基の石棺はまさにこの記述と一致するものである…というのが森さんの主張でした)


なるほど、古墳の規模*1も『延喜式』に記載されている檜隈坂合陵と一致しますし、状況証拠も整い過ぎています。
今日においては、欽明天皇陵は「見瀬丸山古墳が真陵」という説が若干優勢であるようです。


もっとも。
欽明天皇陵は、現治定陵の平田梅山古墳で間違いないのだ」という反論がなくもありません。


最大の論拠は、先に紹介させていただいた「墳丘の砂礫と『日本書紀推古天皇紀の記載との整合性」ですが。
もう1つ、興味深い論拠があります。
それこそが…先ほどチョロッと予告した、谷森善臣が『山陵考』のなかで紹介している「もう1つの理由」です。


…長くなってしまったので、1回切ります。


★★かなり専門的な論考にまで切り込んでいます。今回のエントリ。人気blogランキング★★

*1:見瀬丸山古墳は、全国第6位、奈良県内では最大の古墳です。以前にも紹介させていただいていますが(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050623#p1)。