思わぬところで日本史トークが。
ここんとこ。
奥歯が悪くなって、また歯医者に通っています。
主治医の先生とは、高校生の頃からの長い付き合いです。
雑談しながら治療を受けていたのですが。
ふと「…平城京からいろいろ遷都した時期あったじゃない? あれ言える?」と質問を受けました。
昔弊ブログでまとめたことがあったので。
即答でした。
正解は↓こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20061215#p1)。
聖武天皇が都を転々と遷したのって、受験生泣かせですよね。
自分も、「…大仏建立の詔ってどこが都のときに出されたものだったっけ?」とかごっちゃになってましたもん。
ちなみに、↑の自問についてですが、正解はチト複雑です。詔が出されたのは「紫香楽宮」での出来事ですが、当時都はまだ恭仁京にあったままでした。紫香楽宮は、後に正式な都となるのですが、当時は「離宮」という扱いだったみたいですね。天平15年(743年)10月15日のことでした。
ここで、「聖武天皇の軌跡」でも整理してみましょうか。
平城京→恭仁京(天平12年(740年))→難波宮(天平16年(744年))→紫香楽宮(天平16年(744年))→平城京(天平17年(745年))
…ホント、複雑でイヤんなるところです。
…まとめといてよかった。
こんなところで役に立つなんて。
しかし。
ついこないだ書いたように思っていたのですが。
もう4年も前のエントリだったのですね。
時が経つのは早いものです。
遷都のことは複雑なので。
もう1度シッカリと押さえておきたいと思いました。
★★30年後には「恭仁京遷都1,300周年」で盛り上がるのかしらん。人気blogランキング★★