誠の名に集いし遠い日(3)

…すみません。けっこう長い間飛んでしまいましたが、前回出題した問題の正解発表いきます。
問題は↓こちら。

新撰組副長「土方歳三」は、「鬼の副長」の異名のとおり厳しいイメージを持たれることの多い人でしたが、実は俳諧を詠む趣味があったことはよく知られています。
彼の親戚筋である佐藤家には『豊玉発句集』という作品集が残されています。お世辞にもあまりうまい句ではありませんが、彼の思いが率直に伝わる作品が多く伝えられています。
さて、その彼が残した作品の1つ。
「知れば迷ひ、しなければ迷はぬ」
さて、‘何’の道と続くでしょう?

正解は…「恋の道」でした。


土方歳三は、クールなイメージに似合わず、かなり女性にはモテたらしいです。残された写真見てもなかなかの美男子ですし。京都滞在中にもさんざん色街で浮名を流したらしく、文久3年(1863年)11月には郷里多摩の小島鹿之助に宛てた便りのなかで「モテてモテて困ってしまう」という趣旨のことを自慢する手紙を送っています*1。その手紙の末尾には「報国の心をわするる婦人哉」という句が記されています。
今回の「知れば迷ひ、しなければ迷はぬ恋の道」の句ですが、土方歳三は郷里にお琴という許婚を残して上洛したというエピソードがあり、彼女のことを思い出して詠んだのではないかという説もあります。なお、司馬遼太郎の『燃えよ剣』の作中ではこの句は「知れば迷ひ知らねば迷はぬ恋の道」と誤って引用されていて、今日その語句で記憶している人も少なくないのですが、2句目は正しくは「しなければ迷はぬ」です。


では、第3問です。

新撰組十番隊組長を務めた「原田左之助」は、若かりし頃、ある武士と口論になった際に「腹を切る作法も知らぬ下司め」と罵られたのにカッとなり、いきなり腹を切って見せたことがあったそうです。
幸い傷は浅かったので命には別状はありませんでしたが、彼の腹には横一文字の傷跡が終生残ってしまったそうです。
左之助はこのことから、酔うごとに切腹の傷を「見ろ見ろ」と見せたというエピソードが残っていますが、もう1つ、切腹したことがあるのを記念して、あるものまで変えてしまったそうです。そのものとは何でしょう?

ヒントとしては「生まれたときから決まっているもの」「そんなに軽々しく変えるものではないもの」ですかね。さあ、お考えください。


しかし、「知れば迷ひ、しなければ迷はぬ」とはよくよく考えてみればミもフタもない。人気blogランキング

*1:…って、冷静に考えてみればスゴいな(笑)。