勉強になりました。

例の「昭憲皇太后」についてですが。
Bimyoさんとこに追記されていました(http://d.hatena.ne.jp/Bimyo/20051030#1130661717)。


なるほど、孝明天皇の女御であった(皇后宣下はされていない)九条夙子に「英照皇太后」の諡を贈ったことを前例としてしまったがゆえのことだったのですね。彼女は「皇后」ではなかったから「皇太后」でよかったと。
納得でございます。いや勉強になりました。


引用されていた、橋本義彦さんの

わが大宝・養老令の制においては、三后の序次は太皇太后・皇太后・皇后の順とされ(『令集解』儀制令・公式令)、平安時代以来、皇后より皇太后、皇太后より太皇太后に宣下されるのを「転上」と称された。降って明治二十二年制定の皇室典範においても、三后の叙列は「大宝令ニ依リ、尊属ノ序次ニ従フ」(『皇室典範義解』)とされた。しかし明治四十三年三月皇族身位令が制定されるや、「皇族の班位」は皇后・太皇太后・皇太后・皇太子・皇太子妃(下略)の順序と明定され、昭和二十二年(一九四七)新定の皇室典範にもその順位が引き継がれている。追号は生前の最高の身位をもって称するのを本則とすれば、「昭憲皇后」と称するのが妥当であり、皇后宣下がなく、准后より皇太后にのぼった英照皇太后を前例とすることは出来ない。
(「皇太后追号」(『日本歴史』631)より)

も興味深く拝見しました。「皇后>太皇太后>皇太后」とされたのは明治43年(1910年)のことで、それ以前は「太皇太后>皇太后>皇后」だったのですね。そういや、聖武天皇の皇后であった光明皇后に贈られた諡は「天平応真仁正皇太后」ですね*1
繰り返しになりますが、私もたいへん勉強になりました。こういう「知らないことをリアルタイムで教えてもらえる」のもブログの強みだなあ…としみじみ実感。ありがとうございました。


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*1:天平宝字2年(758年)、淳仁天皇即位の際に贈られた諡です。聖武天皇は2年前の天平勝宝8年(756年)に崩御しています。