情景を想像して読んでみてください。

さて、記念すべき「日本史」カテゴリ100話目のエントリです。いくつかネタがあるにはあったのですが、生半可な内容じゃアニヴァーサリーにふさわしくないだろうということで、いずれも後回し。
で、初心に帰ってみることにしました。
1話目がいきなり「木梨軽皇子と軽大娘女の近親相姦の話」だったり(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050602#p3)、2話目が「花山天皇即位式の最中に女官と始めちゃった話」だったり(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050604#p2)したので、やはり100話目もそっち系のうっふんお色気路線でいくべきなのではないかというムダな責務に駆られてしまった次第なのであります(←誰か止めろ…)。
というわけで、今回引っ張り出してきた究極のネタは、コレ。


神武天皇が即位後に皇后にしたのは、『日本書紀』によると媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)という女性でした。Wikipediaにあるように「神武天皇は、東征以前に、日向で、すでに娶っていたが、大和征服後、在地の豪族の娘を正妃とすることで、在地豪族を懐柔しようとしたと考えられている」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%83%92%E3%83%A1)とする見方が有力のようです。


で、この姫についてですが。
古事記』では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)という名前で登場しますが。
この姫の出生にまつわるすんごいエピソードが紹介されています。


姫の母親である勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)は大層の美人であったらしく、三輪山の神である大物主神が彼女を見て一目惚れしてしまいます。
で、この神サン、如何にしたかというと…。


赤く塗った矢に姿を変えて川を流れていき。
川屋*1勢夜陀多良比売が大便をしているときに、陰部を突いたとのことです。


勢夜陀多良比売はビックリして(そりゃそうだ)、その矢を持ち帰って寝床に置くと。
矢はたちまちに容姿端麗な男性姿の神に姿を変え。
そのまま晴れて2人は結婚し、その結果生まれたのが比売多多良伊須気余理比売だといいます。


…いや、言いたいことはいくつかあるんですよ。
一目惚れするのは勝手なんですけど、なんで赤く塗った矢に姿を変えて、陰部を突く必要があったのかなあ…って。
あまりに豪速球なのにもほどがありますって。
女性も女性です。容姿端麗な男性姿に変わったからって、結婚するところじゃないだろ、怒るところだろ、って。用便中に陰部突かれたんだから。


一応、真面目に解釈すると。
「赤く塗った矢」は「邪霊を払う呪力を持つ」ものであり、他方「男性器の象徴」でもあったようです。神問い婚としての夜這いの風習を隠喩したものであると考えることができますが、それにしても…「川を流れて用便中のところを」ってのはスゴすぎです。
このエピソードは、『古事記』だけで見ることができ、『日本書紀』には掲載されていません。大和地方に残る伝説が、『古事記』にだけ採り入れられたと見られます。


媛蹈鞴五十鈴媛命は、神武天皇の妃となり、彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと。後の綏靖天皇)の3人の男児を儲けますが、『古事記』によると、天皇崩御の後、継子である手研耳命(たぎしみみのみこと)*2の妃となったとのことです。このように、天皇の妃が、天皇の崩後に継子に再稼する例は、まま見受けられます。
余談ですが、手研耳命皇位を狙って弟たちの殺害を企てますが、媛蹈鞴五十鈴媛命は実子に危害が及ぶまいと息子たちに歌を贈って陰謀を未然に防いだといいます。その結果、手研耳命神渟名川耳尊に殺害され、神渟名川耳尊が即位して綏靖天皇になったといいます。


★★…結局、100話目もシモかよ。人気blogランキング★★

*1:言うまでもなく「厠」の語源です。

*2:日本書紀』の表記です。『古事記』では「当芸志美々命」とあります。