すんごいニュースが飛び込んできた。

「雑記帳:岡田以蔵の所有とされるピストル公開 高知」(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060702k0000m040100000c.html)。

◇幕末に活躍した土佐勤王党岡田以蔵の所有とされるピストルの公開が1日、高知県立坂本龍馬記念館高知市)で始まった。来月31日まで。
◇フランス製で県内の子孫が保管。幕府はフランスの支援を受けており、同館は「一時、護衛をした幕臣勝海舟からもらったのでは」。
◇「人斬(き)り以蔵」の異名を取り、京都で暗殺を繰り返したが、28歳で斬(ざん)首の刑に。剣の達人も、刀とピストルの“二刀流”だった?【米山淳】

…予定していた蒲生君平ネタを後回しにしてでも紹介しなくてはならないビッグニュースです。


岡田以蔵といえば。
引用文中にもあるとおり、「人斬り以蔵」として京洛を震撼させたテロリストです。
「土佐勤皇党」を率いた武市半平太(瑞山)の指示のもと、「天誅」と称して様々な暗殺の実行犯になったことで知られています*1
およそ思想とかポリシーとかとは無縁で、ただ人を斬ることのみしかない暗殺者で、武市の走狗となって多数の事件に関与したと言われています。


その「人斬り以蔵」が。
こともあろうにピストルを持っていたなんて。
「人斬り」としてのアイデンティティー喪失ではないですか(笑)。


引用文中に出てくる「一時、護衛をした幕臣勝海舟」というのは。
坂本龍馬に頼まれて」のことでした。
多くの攘夷派から命を狙われていた(もしかしたら、「武市−以蔵ライン」も狙っていたかもしれない)勝海舟の警護を以蔵に頼む…というコペルニクス的転回が「いかにも龍馬」という感じです。


以蔵が海舟の警護をした際の有名なエピソードがあります。
海舟の談話を編集した『氷川清話』に掲載されていた話です。


ある日、以蔵が海舟の警護をしていると。
寺町通りで3人の壮士がいきなり前へ現れて、ものも言わず海舟に斬りつけました。
驚いた海舟が後へ引いて避けたところ。
そばにいた以蔵が、急ぎ長刀を引き抜き。
1人を真っ二つに斬り捨てて、「弱虫どもが何をするか」と一喝。
残りの2人は、以蔵の勢いに驚き、どこかへ逃げていったとのことです。


後日。
海舟が以蔵に向かって。
「君は人を殺すことを楽しんではいけない。先日のような挙動は改めたがよかろう」と忠告したところ。
以蔵答えて曰く。
「先生、それでもあのとき、私がいなかったら、先生の首は既に飛んでしまっています」。
…以蔵のその言葉には、海舟も返す言葉が一言もなかったそうです。


件のピストルを展示している高知県立坂本龍馬記念館による企画展のサイトはこちら(http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/kikaku1.htm)。以蔵のピストルのほかに「武市半平太切腹の際に使用した短刀」なども展示されているとのことです。


★★こういうニュース聞くと「学芸員を目指すというテもあったかもなあ…」と思ったりして。人気blogランキング★★

*1:著名なところでは、文久2年(1862年)閏8月20日に越後浪士の本間精一郎が暗殺されて梟首された事件の実行犯であるといわれています。