おねむなときには日本史1発ネタに頼るしかない。

神奈川県人にとって、二俣川横浜市旭区)といえば、運転免許試験場があることで有名ですが…。


日本史マニアたるワタクシ的には「畠山重忠終焉の地」*1としての強く印象に残っているところです。


ここからは余談。
免許試験場そばの和菓子屋に。
やっぱりあったんですよ、「重忠最中」と書かれたのぼりが。
このテの便乗和菓子って東西を問いませんね。


★★ウケたけど買わなかったので味のほどは不明。人気blogランキング★★

*1:元久2年(1205年)6月22日、北条時政から「鎌倉に異変あり、至急参上されたし」との虚偽の命を受け、わずか100余騎で鎌倉に向かう途中、1,000騎以上の軍勢に二俣川待ち伏せされますが、畠山軍は全軍玉砕覚悟で戦い、1歩も引きませんでした。しかし、重忠は、最後には愛甲季隆が放った矢に射落とされ落命しました。彼が捨て身で戦った背景として、嫡男の重保が直前にやはり北条時政によって由比ヶ浜で騙し討ちに遭って殺害されたのを聞いたからであるとも言われています。ちなみに、時政は「重忠に謀叛の疑いあり」と号令をかけて征討軍を出したのですが、このときの重忠の潔い戦いぶりに、刀を交えた北条義時などは「重忠は無実だったのではないか」と戦後に時政を詰問したといいます。そして、この事件がきっかけで、時政は伊豆に引退を余儀なくされ、義時が第2代執権に就任します。