なんかかわいい。

石原莞爾といえば。
満州国建国の立役者」。
関東軍参謀を務め、満州事変を画策し、かの地に「王道楽土」を築き上げようとした軍人です。


その石原莞爾ですが。
大正8年8月、陸軍大学時代の教官の義妹であった銻*1(てい)さんと再婚していますが*2
直後の大正9年4月、漢口の中支那派遣隊司令部付に転勤となり、新妻を残して単身赴任していくことになりました。


そしたら。
石原莞爾
5月23日から翌大正10年1月25日までの約8か月間に。
妻に宛てて実に222通の手紙を書いたそうです。
ほぼ毎日の計算になりますか。


その内容たるや。

嗚呼、銻ちゃん最愛の銻ちゃんよ! どうぞ私の感謝に燃えているこの心中を御察しください。どうぞ熱いこの感謝を御受け下さい!!*3

…なんとお熱い文面でしょう。
「陸軍大学創立以来の秀才」と言われ、後に満州で軍人として様々な業績を残した彼からは、およそ想像のつかない文面です。


後に莞爾は、軍事学研究のために2年半にわたりベルリンに留学することになり、再度単身赴任したのですが。
その間も、妻に対し、やはりほぼ毎日、細やかに手紙を送り続けたそうです。


ただ。
妻のほうは。
さすがに彼のように「ほぼ毎日」とはいかなかったらしいのですが。


そのことに対して。
莞爾はこんな手紙を送ったそうです。

多忙ならば葉書にても良きを以て、通信は断ざるを希望す。つまらぬ事に心配する恐れあるを以てなり。

…コレ。
現代風に翻訳すると。
電話できないなら携帯メールでもかまわないからさー。なんで連絡くれないわけー。一言でもいいからさー。心配するじゃんよー。ムカツクー」てなところでしょうか。
いつの時代も。
どんなに立派になっても。
オトコの本質なんて、変わらないものかもしれません。


※今回のエントリに際しては、『別冊歴史読本「事典に載らない日本史有名人の結婚事情」』(新人物往来社)を参考にさせていただきました。


★★私はここまでマメにはなれない。多分。人気blogランキング★★

*1:「銻」は【金+弟】です。

*2:1度目の結婚は、陸軍大学在学中の大正6年のことですが、すぐに離婚してしまったとのことです。

*3:原文はカタカナ、漢字は適宜改めてあります(引用文献:『別冊歴史読本「事典に載らない日本史有名人の結婚事情」』(新人物往来社))。