埒もない話
最近また司馬遼太郎の『世に棲む日日』を読み返しています(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20060416#p2)。
今、ちょうど高杉晋作が走り回っているところ。
ところで。
晋作が活躍していた当時、下関は「馬関」と呼ばれていました。
下関港周辺のことを、古代に関所になぞらえて「赤間関」*1と呼んでいたのがその由来です。「赤間関→赤馬関→馬関」と変化していった、というわけです。
で。
今日の昼休み。
『世に棲む日日』を読みながら、ウトウトとしていたら。
ヘンな夢を見ました。
高杉晋作が。
三味線を手に、着流し姿で現れました。
例の「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」を今にも始めそうな雰囲気だったのですが…。
高杉が三味線かき鳴らしながら唄い出したのは。
なんと、林家木久蔵の「いやんばか〜ん」でした。
!!!
思わず、目覚まして、うたたねしていた椅子から落ちそうになってしまいました。
何事もなかったように、高杉晋作のことも忘れて午後の仕事に没頭しつつ。
ふと気づきました。
「馬関→ばかん→ばか〜ん→いやんばか〜ん」だったのか!と。
高杉晋作。
来年没後140年にならなんとするのに、まだまだ自分の脳内で洒脱を仕掛けてくるとは。
なかなかに「おそるべし」です。
★★「下関市出身の有名人」のなかに「剛州」を見つけたときには感動した。人気blogランキング★★