案外カンタンな問題だったのではなかろうかと…

…というわけで、5日前のエントリで出題した「日本史的宿題クイズ」(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20061103#p1)の正解発表です。
問題は↓こちら。

Q.後に建仁3年(1203年)に将軍源頼家から北条時政追討を命じられた際にそれを通報しなかったことを時政に咎められて殺害された御家人で、建久4年(1193年)5月28日に起こった「曽我兄弟の敵討ち」の際に兄である曽我十郎祐成を討ち取ったことで知られるのは誰でしょう?


正解は…「仁田忠常(にった・ただつね)」です。
「仁田四郎」と通称で呼ばれることもあります。また、「仁田」は「新田」と表記されている文献も少なくないようです。さらに付け加えると、名前の読みは『平家物語』では「にたんのただつね」と読ませるのだそうです。


もともと伊豆国の小豪族で、現在の静岡県田方郡函南町仁田周辺を本拠地としていたことから「仁田」の姓を名乗っていたようです。
永井路子さんの小説『北条政子』においては「北条時政の一の子分」として描かれていますが…それに関してはウラは取れませんでした。小説上の創作である可能性も否定できません。ただ、永井さんは『吾妻鏡』を筆頭に当時の文献を隈なく取材なさったうえで史実に近い形で筆を進められる方なので、「全くの作り話である」と全否定することもできないのではないかな…と思います。
「新田」という表記が使われることもありますが、新田義貞の祖先である上野国の豪族新田義重とは無関係です。彼は、上野国新田荘(現在の群馬県太田市*1)を本拠地としていたことから「新田」の姓を名乗っています*2。このように、当時の坂東武者は、本拠地周辺の地名を苗字として呼び習わす例が多かったようです。


ところで。
仁田忠常」でいろいろ検索かけているうちに、スゴい事実にブチ当たりました。


昭和34年に日本テレビ系で『曾我兄弟』という時代劇が放映されたそうなのですが。
その際に仁田忠常役を演じていたのは。
誰あろう…丹波哲郎その人だったようです。


★★どうせセリフなんて覚えて行かなかったんだろうな、丹波のオッサン。人気blogランキング★★

*1:平成17年3月28日、太田市、新田郡新田町、同郡尾島町、同郡藪塚本町の1市3町が対等合併して誕生した新市です。新田荘は、このうち太田市、新田町、尾島町にまたがる広大なものであったと考えられています。

*2:新田義重は、源義家の孫に当たる(義家の3男義国の庶長子)、れっきとした清和源氏の血を汲む武将です。