そして本日は

帰宅後、少々仮眠をとった後。
妻とドライヴに出掛けました。


行く当てもなく車転がしているうちに。
思いがけずに、スゴいものに遭遇してしまいました。


神奈川県秦野市にある。
源実朝首塚です。


承久元年(1219年)1月27日に、公暁によって討たれた実朝の首は。
ドサクサで行方不明の状態になってしまったといいます。
吾妻鏡』によると、「公暁は実朝を討ち取った後、その首を手に、後見であった備中阿闍梨の邸宅に向かったが、夕食の膳を勧められて食べる間も実朝の首を抱えて離さなかった」というエピソードがよく知られています。
つまり、この『吾妻鏡』の記述が正しいと仮定すれば、「備中阿闍梨の邸宅までは実朝の首は運ばれたのが確認されている」ということになるのですが…そこからどこに行ってしまったんでしょうか、実朝の首。
ともあれ、翌28日に「実朝の遺骸を勝長寿院の傍らに葬るに当たって、首の在り処が分からず、五体が不具の状態だったので、前日近習に賜った鬢を首の代わりにして棺に入れて葬った」と『吾妻鏡』には葬送の様子が掲載されています。首の行方が分からないままで。


その「行方不明になった実朝の首」が。
三浦義村の家臣・武常晴によって発見され。
御家人・波多野忠綱を頼ってこの地に埋葬されたという伝説が残っています。
それによって建てられたのが、この五輪塔なのだとか。


しかし…。
ドライヴに行って、偶然見つけたとはいえ、こんな「日本史マニア」臭プンプンのところに付き合ってくれた妻。
ホント、心が広いと思います。


★★諦められてたりして(笑)。人気blogランキング★★