そうして考えつつ読むと「我と来て遊べや」という文句はなかなかに意味深だ。

ところで。
↓のエントリで引用させていただいたブログのオーナーさんも紹介なさっていた、小林一茶のネタですが。
自分も知ってました。


『日本風俗史新聞』(日本文芸社)という。
日本風俗史新聞―歴史の裏舞台を発掘大報道! (歴史新聞シリーズ)
タイトルはいかがわしいけど、比較的日本史のこぼれ話がたくさん載っている本を持っているのですが。
その本の中に、こういう記事があるのを読んだことあります。

俳人小林一茶が故郷信濃柏原に帰り、妻を娶ったのは文化十一年四月、五十二歳の時。相手は菊といって二十四歳年下の娘だった。
しかしこの老人の性生活は絶倫としかいいようがなく、その回数は克明に日記に記されている。八月には「八晴、夕方一雨、菊女帰、夜五交合」に始まり、この四日後に三回、二日おいて三回、翌日から三回ずつ六日連続し、二十一日には大雷雨の中四回と記録されている。子孫存続のためなのか、あるいは好色なだけなのか、とにかく一茶は若い妻のために張り切った。精力を保持するために自ら強精薬草を栽培もした。
だが授かった四人の子供たちはいずれも早逝。しかも菊は三十七歳の若さで死亡。激しく求め過ぎたつけだったのかも知れない。この時、一茶は六十一歳。次にゆきという三十八歳の妻を迎えるが、一茶の性欲に耐えられず、三ヵ月ほどで実家に逃げ帰る。二年後の六十四歳、三十二歳のやをを妻に迎えるが、脳出血で体の不自由を抱えながら、一茶は一日一回は交わったという。

…ていうか。
女子高生でもあるまいし、日記に回数つけるなよ、一茶!
しかも…その回数が人並み以上にスゴすぎ。「翌日から三回ずつ六日連続し」なんて考えただけで眩暈しそうです。


ちなみに。
一茶の絶倫ぶりについては。
「雑穀食・農耕民族の旺盛な性能力〜小林一茶の交合記録〜」というサイトでより詳しく紹介されていますので(http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/eating11-20/issa1.html)。
よろしかったらそちらもご参照ください。
自分もお邪魔させていただきましたが…原文で読むと改めて感嘆しきりですよ。


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