そんな自分に朗報。

5月9日に、さんざん大騒ぎをした末にネット経由で提出した「考古学特殊研究」のレポートが。
本日、大学院より評価と担当教官のコメントがつけられて返送されてきました。


…両方の設題ともAでした。
まずはめでたい。


もっとも。
修士論文で書こうと思っているテーマとも密接に関わりのある題材ですので。
「この科目でAが取れなかったら甚だ問題あり」と言わざるを得ないところでしたので。
「めでたい」なんて浮かれてる場合ではなく、「取れて当然」ぐらいの気持ちでいなくてはならないのかもしれません。


担当教官からも。
それぞれの設題に対して、「詳しい研究史となっていました」「継体陵について、研究史と発掘の現況とを詳細に記されましたね」と概ね好評な所見をいただきました。
ただ、「“真の継体天皇陵”であると現在では考えられている今城塚古墳が、なぜ江戸時代に継体陵に比定されず、太田茶臼山古墳(現在宮内庁によって治定されている継体天皇陵)のほうが比定されたのか」という考証において、「正応元年(1288年)2月25日*1継体天皇陵が盗掘を受け、継体天皇陵の石室は『解体されて』しまい、その結果『今城塚古墳は石室が存在しない状態』になってしまい、『天皇陵として認識されることが難しくなってしまった』のではないだろうか」という説を展開したところ。
「おもしろい見方ですが、地すべり*2のほうが影響は大きいと思います」と講評され。
「…確かにそうかも」とショボーン


ともあれ。
「この領域においては、自分の持てる力は修士課程でも通用するものなのだ」…と思えたことだけでも自信につながりましたので。
このいい雰囲気のうちに、次の科目のレポートにとっとと取り組まなくては…と思いました。


★★…ただし、今は「体調回復」が最優先事項。ムリはくれぐれも厳禁です。人気blogランキング★★

*1:「正応元年」に改元されたのは、この年、西暦1288年の4月28日のことですので、厳密に言えば、正確には盗掘時の元号改元前の「弘安11年」が正しいものとなります。一応注記しておきます。

*2:「慶長元年(1596年)閏7月12日・13日に起こった伏見地震の際、今城塚古墳で大規模な地滑りが起こり、墳丘が大きく崩壊した」と考えられています。詳細は、高槻市教育委員会による「第10次今城塚古墳の調査(現地説明会資料)」に地すべりについての図が掲載されていますので(http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/imashiroduka_h18_2.pdf)、興味がある方はそちらをご参照ください。ちなみに、言い訳するわけではありませんが、「地すべりが『今城塚古墳が継体天皇陵である』という認識を薄くした」ということについては、私もキチンと併記はしていましたよ。