本日の表題に関連して。

平城上皇崩御」の一言について、補足させていただきたいと思います。


平城上皇は。
弘仁元年(810年)に起こった「薬子の変」の責めを負う形で。
剃髪し、出家しています。


そのため。
一旦は「平城法皇崩御」という表記にしようとしたのですが。


念のために、Wikipediaでウラ取りしたところ。

その後も上皇(当時は法皇の称号はなかった)は平城京に滞在していた

との1節が(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87)。


…知りませんでした。
出家していても「平城上皇」でいいんですね。勉強になりました。


ちなみに。
太上法皇」の項目によると、

平安時代宇多天皇がこの称号を初めて使ったとされている(中略)江戸時代の霊元法皇が最後。

とのことです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%8A%E6%B3%95%E7%9A%87)。
これまたへぇでした。さすれば、譲位後出家して「素真」と名乗った清和天皇なども「清和法皇」と表記するのは誤りなのですね。


★★しかし、なぜ「くすこのへん」と打って変換すると「クスコの変」になるのだ、うちのパソコンよ。人気blogランキング★★