誰か故郷を思わざる

ここんとこ「日本ハム」のことばかりで、特に日本史関係がとんとご無沙汰でしたので、久しぶりに。


しばらくぶりで、『新選組!』のDVDを見ました。
土方歳三沖田総司に、組の新体制を見せようと思って、「それを見てみろ」と置いてあった帳面を見せたところ…。


沖田:「うぐいすや、はたきの音も…」
土方:「(慌てて総司から帳面をひったくって)バカ、どこ読んでんだよ」
沖田:「何ですか、これ?」
土方:「余計なとこ見なくていいんだよ!」
沖田:「だって、見ろって言ったから…」
土方:「開いて置いてあるんだから、開いて置いてあるところ見るだろうが、普通は!」
沖田:「今の何ですか? 俳句? 土方さんがつくったの?」
土方:「(照れながら)悪いか!?」
沖田:「いや、ちょっと意外だったから…」
土方:「俺は、そういうもんも好きなんだ」
沖田:「うぐいすや、…何でしたっけ?」
土方:「(ちょっと嬉しそうに)うぐいすや、はたきの音も、ついやめる。…いやこれはな、ウグイスの声が綺麗だから、はたきをかけるのもやめて、つい聞き惚れてしまっていうな…」
沖田:「…そのまんまじゃないですか?」
(鹿威し*1の音がカッポーンと響く)


…いやあ、久々に大笑いしてしまいました。
「豊玉宗匠、大いにテレる」の図、最高です。


土方歳三の句は。
シロートの自分が見ても、どれもこれも決してお世辞にもうまい句ではありません。
しかし…なんていうか、その、いい味出してるんですよね。それは間違いない。
梅の花 一輪咲いても 梅は梅」という句も、「うぐいすや…」の句に負けず劣らずミもフタもない句ですよね。まんま。そりゃ総司にバカにされても仕方のないところですが、どこかこう…憎めない。
「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三がこんなまずい句を詠んでいた…というところも「いい味」度合いを増幅させているところなのかもしれません。「鬼も人の子だった」という具合に。


ところで。
今日、ふと気づいたことがあります。


歳三の号は、ご存知「豊玉」です。


このうち。
「豊」は、彼の諱「義豊」から1文字取ったものと見てよいと思いますが。
「玉」はどこから来たものなのか?


…これって。
彼の故郷「多摩」をもじってつけたものなのではないか…と。
ふと気づいたんですよ。


彼の故郷を思う気持ちが。
「玉」の字に込められているのではないか…と。


いわゆる『豊玉発句集』が完成したのは。
文久3年(1863年)春のことです。
この「春」は、現在では1月、彼が「浪士組」として京に旅立つ前のことであると考える説が有力になってきています。
ゆえに、彼は江戸在住時代からこの号を使っており、「京洛で、故郷多摩を思って『豊玉』という号を名乗った」とは考えにくくなってきています。


しかし。
そうではあっても。
江戸在住時代から一貫して、彼は生まれ育った「多摩」にひとかどならぬ愛着を持っていて、この号を名乗っていたのだ…とは、考えられなくはないでしょうか?


京都での「新撰組時代」。
そして、宇都宮、会津箱館と転戦していった「戊辰戦争」。
その最中にあって。
「鬼の副長」として戦い続けた彼も。
人知れず、常に故郷を心に抱いて、剣を振るい続けていたのだ。
そう思えてならないのです。


★★そのうち彼が生まれ育った日野にも行ってみようと思います。人気blogランキング★★

*1:よく料亭とかにあるアレですよ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:ShisendoSouzu.jpg)。