まだまだ自分の知らない日本史上の人物はあまた存在する。

それでは、日本史クイズの正解です。
↓問題はこちら。

Q.徳川家光の弟である駿河大納言・忠長が改易となったときには幕府の命を受けて彼を高崎城に預かり幽閉したという上野高崎藩56,000石の領主で、寛永12年(1635年)11月9日、松平勝隆、堀利重とともに初めて寺社奉行に任じられた人物は誰でしょう?

…正解は「安藤重長」です。
3人のなかで、1番かろうじてメジャーそうだった(伝わっているエピソードを見つけることができた)ので、彼を出題してみました。まあ…出題時にも書いたとおり「相当に難易度の高い問題」だったとは思いますが。


この人物。
平凡社の『世界大百科事典』には項目なかったのですが。
大阪の高麗橋についての項目にこんな記述を見つけることができましたので、紹介させていただきます。

大阪市東区、南区を北から南へ貫流する東横堀川に架かる橋。東区の高麗橋詰町と高麗橋1丁目とを東西に結ぶ。創架年代は未詳であるが、東横堀川豊臣秀吉大坂城下町建設にともない、1585年(天正13)に開削された運河であること、1615年(元和1)大坂夏の陣のとき、安藤重長が戦利品として持ち帰ったという〈慶長九年甲辰八月吉日、御大工奉行吉久〉と刻銘の擬宝珠が現存し、高麗橋またはその前身の橋の擬宝珠と推定されていることなどから、近世初頭とする説が有力。

…持ち帰るな!(笑)


さらに余談ですが。
この人物。
外祖父である初代高崎藩主・安藤重信の養子となって、跡を継いでいます。
もともとは本多正盛*1の長男として生まれ、母が安藤重信の娘だった…という血縁関係です。


この祖父にして養父である重信は。
大久保忠隣が改易されたときに小田原城受け取り役を務めたり。
福島正則が改易されたときに広島城受け取り役を務めたりしたそうです。
「ミスター受け取り役」ですなあ(笑)。


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*1:日光東照宮造営に際し副奉行に任ぜられたものの、同僚の山城宮内と争いになり、そのために自刃しています。こちら(http://10.pro.tok2.com/~a11234842/993imaitisi.honndamasamorinohaka.html)に詳しいです。