日本史マニアに幹事をさせると、こういう旅行になります(4)

職場旅行レポート、予告どおり今日から2日目の様子となります。


最初に出向いたのは。
↓ココです。

誰もが10円玉の表面*1と見比べずにはいられない、平等院鳳凰堂です。


この建物。
正式名称は、中に安置されている阿弥陀如来像にちなんで「平等院阿弥陀堂」というのですが。
てっぺんに安置されている雌雄一対の鳳凰にちなんだ「鳳凰堂」という名称のほうがメジャーになっています。
↓なるほど、いらっしゃいますね。


ここで日本史マニア的平等院一口メモを。
平等院、山号は朝日山といいます。
宗派は、17世紀以降、浄土宗と天台宗を兼ねて特定の宗派に属さない単立仏教寺院となっています。
創建されたのは、永承7年(1052年)。そう、有名な「末法元年」に当たるとされている年です*2藤原頼通が自らの別荘「宇治殿」を寺院と改めたのもこの思想の影響によるところが大きいのは言うまでもありません。
境内には、治承4年(1180年)の宇治川の合戦の際に自害した源頼政の墓(供養塔でしょうか…)もあります。


この後。
我々一行は、宇治市源氏物語ミュージアムを見学。
「宇治十帖のミニ映画」なんぞ見学しました。


昼食時。
「宇治十帖って、結局どういう話なんですか?」と質問されたので。
小生の出番到来。


光源氏の子ってことになっているけど、実際のところは不義密通で生まれて血のつながりはない薫大将が主人公です。薫は宇治に隠れ住む姉妹を見つけて、姉のほうに恋するんですけど、姉は父の言いつけを守って独り身を通そうとして、妹を薫と娶わせようとします。ところが、薫は、友人であるプレイボーイの匂宮を妹に手引きして関係を結ばせ、自分は姉との恋を成就させようとするんですが、彼女は薫を拒み続けた挙句、もろもろの心労のために他界します。
ところで、姉妹と腹違いで、亡き姉と生き写しである浮舟という女性の存在を知った薫は、紆余曲折の末に彼女を宇治の別荘に隠して愛していたのですが、ある日匂宮が薫を装って浮舟のもとを訪ね、強引に関係を持ってしまいます。薫と匂宮、全く異なるタイプの2人の間で思い悩んだ挙句、浮舟は入水自殺を図ります。さる僧侶に助けられて出家を遂げた浮舟は、のちに探し当てて迎えに来た薫を拒むところで物語は終わっています」


…こんな感じの説明だっでしょうか。
何も見ないで即興で話したので、誠に雑駁ではありましたが、おおよそのストーリーは掴んでいただけたのではないかと。


★★宇治は落ち着いた雰囲気のあるいい街ですね。何度来ても思いますが。人気blogランキング★★

*1:意外と勘違いされている方少なくないのですが、10円玉は大きく10と書いてあるほうの面が裏で、平等院鳳凰堂があるほうが表です。Wikipediaによると「造幣局では、植物などの表示がある面を「表」、鋳造年表示のある面を「裏」と呼んでいる。この用法は一般にも浸透しているが、法律による規定はない」とあります(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A1%AC%E8%B2%A8)。

*2:末法」とは、仏法において「仏の教法(教)のみがあって、教法に従って修行する者(行)も、修行の果報を得る者(証)もなく、国土も人心も荒廃する」と考えられた時期のことです。釈迦入滅後2,000年後に「末法」の世に入る、と考えられており(国や地域によっては「釈迦入滅後1,500年後」と考えられていたところもあります)、日本では永承7年(1052年)がこの年に当たるとされていました。