これもお犬様?

久しぶりに「今日」ネタです。
天保11年(1840年)の今日11月18日、光格上皇崩御しています*1


光格天皇
歴代天皇で、これまでのところ最後に「太上天皇」の称号を与えられた天皇であり。
崩後「○○院」という追号を贈られることが普通であった江戸時代の天皇において、「天皇」という尊号のついた諡号選定を復活するようになった最初の天皇です(諡号が贈られたのは第58代光孝天皇以来のことになります*2)。
幕府との間に「尊号事件」と呼ばれる諍いを起こしたことがあることは、かつて弊ブログでもチラリと触れさせていただいたとおりです(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20060701#p1)。傍系である閑院宮家から皇位を継承した天皇は、そのせいもあってか、朝儀の復興に熱心でした。「天皇」という漢風諡号を復活させたのもその1つであったと言えるでしょう。これらには、即位後に天皇をよく訓導した先々代の後桜町上皇の存在も大きかったということです。


さて。
Wikipedia光格天皇の項に。
ちょっと面白いことが掲載されていたので、引用します。

18世紀末から19世紀初めにかけての随筆『耳嚢』(平凡社東洋文庫全2巻、岩波文庫全3巻)の記述によると、天明元年に、ある大名に飼われていた狆の主人に対する態度が噂となり、それを知った光格天皇がその狆の忠節を認めて六位を賜えたという話が伝えられている。

耳嚢』とは。
1798年(寛政10年)から1815年(文化12年)まで18年間南町奉行を務めた旗本・根岸鎮衛*3が、30年以上にわたって書きためていた、1,000件以上の世間話を収めた随筆集です。
岩波文庫から出ているのですか。機会があったら1度目にしたいものです。


それにしても。
六位の狆ですか。
ヘタしたら「家臣よりも位の高いイヌ」ってことになりますよね…。
スゴい。


★★そういえば、いつぞやの「祖母にくりそつだった狆」はどうしているのかなあ…。人気blogランキング★★

*1:これまた久しぶりに「太陽暦に換算すると…」を補足しますと「西暦1840年12月11日」のことになります。

*2:ただ、光孝天皇以降にも、「天皇」という呼称こそ使用されていなかったものの、不遇な最期を遂げた天皇にあえて諡号を贈って霊を鎮めようとした事例はいくつかあります。保元の乱流罪となった「崇徳院」、平氏とともに壇ノ浦の海に沈んだ「安徳院」、承久の乱流罪となった「順徳院」などがその1例です。なお、順徳天皇と同じく承久の乱流罪となった後鳥羽天皇の「後鳥羽」という号は諡号ではありませんが、彼にも最初は「顕徳院」という諡号が贈られていました。が、仁治3年(1242年)7月に「後鳥羽院」という院号に改められています。歴代の天皇のなかで諡が改められたのは後鳥羽天皇のみです。

*3:名の読み方は「しずもり」であるとも「やすもり」であるともいいます。