陵墓マニア、まかり通る(2)

つづきです。


哲学の道」のさなかに。
冷泉天皇桜本陵を見つけました。


↓「冷泉天皇櫻本陵」の石碑。

あの「よーじやカフェ 銀閣寺店」のほど近くにあり。
カフェの周囲は人だかりでごった返していましたが。
天皇陵に目を向ける人は誰もいませんでした。
無常を感じます。


さらに。
永観堂そばを走っていたら、ナビが教えてくれた。
尊良親王墓です。


尊良親王は、後醍醐天皇の皇子です。
護良親王後村上天皇(義良親王)、懐良親王たちとは、母親が違う兄弟でした。


彼は、南北朝の動乱の際に、新田義貞とともに北陸路に走り。
義貞の子・義顕とともに、越前国金ヶ崎城に立て籠もりますが。
延元2年((北朝建武4年・1337年)3月6日、北朝軍に攻められ、自害して果てています。
享年28歳でした。


尊良親王の首は、京都に運ばれ。
夢窓疎石によって、懇ろに葬られたといいます。
それがこの地に治定されているのだとか。


余談ですが。
この親王の名前の読み方。
以前は「たかながしんのう」と言われていましたが。
最近の研究では「たかよししんのう」が優勢である…というのは。
かつて護良親王について語らせていただいたのと同様です(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050609#p2)。


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