読んでて切なくなりました…。

遅くなってしまいましたが
日本史クイズの正解です。
↓問題はこちら。

Q.日本の枢密院、初代議長は伊藤博文ですが、昭和22年(1947年)5月2日に枢密院が廃止になったときの最後の議長は誰でしょう?

…正解は「清水澄(とおる)」です。
シシガタニさん、お見事でした。コメント欄に回答があると嬉しいですねえ、この日本史クイズ。


で。
Wikipediaで清水澄の項目を調べたのですが(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%BE%84)。
こんな悲しいエピソードが掲載されていました。

昭和22年(1947年)5月3日、日本国憲法が施行されると、日本の国体の危機を憂えて、同年9月25日、熱海錦ヶ浦海岸から投身自殺を遂げた。
遺言に当たる「自決ノ辞」には、

新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ
元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム
追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ

と記し、大日本帝国憲法に殉じ、自殺をすることと、その自殺が中国の戦国時代の楚国の屈原が汨羅(べきら)の淵に投身自決した故事に倣ったことが記されている。そして、公人としての最後の責任を全うするために、自らの想いとは別に最後の枢密院議長として新憲法の審議に尽力したのである。

…「大日本帝国憲法に殉じ」ですか。
切ないです。


戦後教育を受けてきた自分たちにとって。
「臣民」として「法律の範囲内」でしか権利を認めてこなかった旧憲法は。
その時代としては致し方なかったにせよ、不十分なものであったとしか映りません。


しかし。
その憲法を、命を賭けて守り続けていた立場の人がいたのも、また事実なのです。
そのことだけは、しっかりと胸に刻んでおこうと思いました。


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