夢の中でも陵墓マニア
ようやっと、1週間のおつとめ完了。
添い寝していた娘を朝方に妻に託した後、優雅に二度寝をさせてもらいました。
…夢の中で。
自分がいたのは、確かに京都・泉涌寺の月輪陵でした。
しかも…一般拝観客は立ち入りのできない、拝所の中にあるそれぞれの天皇の石造九重塔を学術的に検分しているようでした。
実際に目にしたことはないけれど、写真では見たことがある数々の層塔を前にして。
テキパキと指示を飛ばす自分。
「こちらは仁孝天皇陵、泉涌寺にある天皇陵としては最も時代的に新しいものです」*1なんてセリフを素で吐いてます*2。
…目が覚めて。
よくよくの自分の陵墓マニアっぷりに、思わず苦笑。
前日に修士論文関係で寝る直前までいろいろ調べものしていた影響で、こんな夢見たのでしょうか…。
余談ですが。
先日の現地調査で巡回した陵墓を、「Google Earth」で確認する…といういかにもマニアックな楽しみ方をしている今日この頃ですが。
泉涌寺周辺をを偶然通り過ぎた際に。
思わぬ画像に、目を見張らずにはいられませんでした。
「…立ち入りのできない、月輪陵内部の石塔の配置が手に取るようによく分かるじゃないか!」
↓たまたま通りすがった画像(北が上です)。
↓拝所から見た方向に回転させたもの。
…人工衛星は見ていたんですねえ。
昨日のネタではないですけど。
参考までに。
↓ネット上で拾った、明治〜大正時代の書籍から転載したとおぼしき月輪陵配置図。
年代が特定できるのは、掲載されている天皇の追号に「○○院天皇」と院の字がある天皇が複数いるので、追号から院の字が省かれるようになった大正15年3月9日以前であると推測できからです*3。
さらにいろいろ巡回してみると。
月輪陵の内部の様子、他所に向かう側道を歩いていると見える箇所があるみたいですね。
詳しくは、こちらのサイト(http://www1.kcn.ne.jp/~kounom/087-120.html)をご参照ください。
こんな夢を見たのも、何かの縁でしょうか。
次回京都に現地調査に出向く機会があれば、ぜひもう1度泉涌寺にも足を向けてみたいと思いました。
★★その前に…たまっている現地調査の報告エントリを仕上げないと。人気blogランキング★★
*1:厳密に言うと、光格天皇と仁孝天皇の陵は、同区域内にあるものの名称は「月輪陵」ではなく「後月輪陵」とされています。これは天皇陵だけでなく皇妃の陵についても同様で、光格天皇皇后欣子内親王陵、仁孝天皇女御贈皇后繋子陵、仁孝天皇女御尊称皇太后祺子陵はいずれも「後月輪陵」という名称となっています。その理由として、例の『山陵』(上野竹次郎:名著出版)に「因ニ云フ。上世山陵必ズ陵号アリ。中世以降制紊レ、随ッテ陵号ノ如キ亦定マレルナシ。四条院天皇以後、封域ヲ一ニシテ陵ヲ泉涌寺ニ営マルヽモノ二十五、光格天皇陵、独リ陵号アルノミ。仁孝天皇陵、猶廟号ヲ称ス。蓋シ謂ナキ事カ。明治ニ至リ、山陵皆陵号ヲ定メラル。是ニ於テ泉山二十五陵、亦陵号定マル。即チ四条院天皇以後、後桜町院天皇以前凡テ二十陵、之ヲ総称シテ月輪陵ト曰ヒ、光格天皇以後五陵、之ヲ総称シテ後月輪陵ト曰フ」と記述があります(注.漢字表記の旧字は適宜新字に改めました)。
*2:このレヴェルでの話なら夢の中だけでなく現実でもすること可能ですが(笑)。
*3:(追記)修士論文の史料を収集している際に、偶然この図が掲載されていた書籍が判明しました。大正10年(1921年)7月1日発行の『山陵遥拝帖』(上野竹次郎編:山陵崇敬会)でした。