思わぬところから飛び出した日本史小ネタ

妻が図書館で『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズを借りてきて、ずっと読んでいます。
自分は、山本耕史主演のNHK時代劇でしか知らないのですが。


このシリーズ。
作者の佐伯泰英さんがかなりのハイペースで執筆していることもあって。
2002年4月に刊行された第1作『陽炎ノ辻』から最新作『孤愁ノ春』までの33作が、ほぼ年4作ペースで刊行されているのだとか。
妻は図書館に予約をかけて順次読んでいるのですが、なかなか人気のようで待たされることもしばしばです。


そんなある日。
妻から食卓で「『居眠り磐音』に出ているあの人、何て言ったっけ? ほら、“幻の11代将軍”の人?」と聞かされて。
「え? 徳川家基が出てるの!?」と驚いてしまいました。


徳川家基は。
10代将軍徳川家治の長男です。
「竹千代」の幼名をつけられていたことから分かるように、生まれながらにして「次期将軍」の座を約束されていた存在でした。
元服前から「家基」の諱が決定され、文武両道に秀で才気煥発にして将来を嘱望されていました。


しかし。
そんな彼に、突然の悲劇が襲います。


安永8年(1779年)2月21日。
鷹狩りの帰りに立ち寄った東海寺(東京都品川区)で突然身体の不調を訴えた彼は。
3日後の24日、18歳の若さで帰らぬ人となってしまいます。


徳川宗家で「家」のつく諱を持ちながら将軍位に就くことがなかったことから。
彼は「幻の11代将軍」と呼ばれることになりました。


あまりに突然の死だったことから、その死には巷間お約束の「毒殺説」が飛び交うことになります。
黒幕は、彼に政治を非難されていたたるに失脚を恐れた田沼意次であったとも、実子の豊千代(後の11代将軍家斉)を将軍にしたい一橋治済であったとも言われていますが、真相はこれまたお約束の「藪の中」です。


ただ。
家基がなるはずだった11代将軍に就任した家斉は、生涯頭痛に悩まされていたといいますが、これを「家基の祟りである」と信じていたようです。
そのためか、晩年になっても、家基の命日に、寛永寺にある家基の墓所を自ら参詣するか若年寄を代参させていたといいます。
これは、家基の変死を「父である治済の仕業である」と信じていたか、あるいは…真相を知っていたからだ、と見る向きもあります。
幾分穿った見方にも見えますが。


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