しばし日本史マニアの戯言にお付き合いください。

ここのところ。
やたらと、「天誅」が横行していた幕末期のことが思い出されてなりません。


震災、特に原発関係に関して。
事態が全く動かない、好転しない現状に対しての閉塞感によるものなのかもしれないなあ…と自己分析しています。
遅々として進まない対策、さらに今後再び同様の災害が起こったときの対処について全くノープランなのに対して、思うところは少なからずあるのです。


何度も弊ブログで語っていますが。
天誅」とはいっても、それは殺す側の論理であり、結局は「暗殺」に違いはありません。
いかなる理由があろうと暗殺は正当化されるべきではありません。


ただ。
「無策」と言っていいほどの政府の対応を見るにつけ。
幕末期のような、時代を変えていくための熱いエネルギーが国中に充満していた時代に想いを馳せてしまわずにはいられなくなります。
何かこう…「誰か早くなんとかしてくれ」という心の叫びではないのですが。


もちろん。
それが「天誅」という手段によるものであっては断じてならないのですが…。


現状を打破するに。
現代の我々庶民は、あまりにも無力です。
「幕府頼むに足らず」と志士たちが立ち上がった幕末期のように事を起こすことなど、とてもできようはずがありません。


結局は。
毎日の務めを全うし。
自分のため、家族のためにやるべきことをこなすこと。
そして有事の際の対応を抱き、心の準備をしておくこと。
これぐらいしか為すことはないのが現状なのです。


しかし。
それを全うしても。
国内レヴェルで目を向けてみれば、どうなっているのか。
…全く動いてないですよね。いままだ不便な避難所暮らしの宮城の方々、原発によって「20年は住めない」とまで言われた福島の方々のことを考えると、涙が出てきそうになります。


中央のお偉いさん(含む東電幹部)に。
彼らの苦しみ、憤りは届いているのでしょうか…。


時代を動かすために何もできない、小さな存在である我々。
せめて「時代の大変転期」だった頃に想いを馳せることぐらいは、許してもらえるのでしょうかね…。



これまで、弊ブログは努めて「ノンポリ」であることを旨としてきました。
このエントリも、主義主張を押し出すために書いたものではありません。
ただ…いい加減心にたまった澱が溢れてしまいそうだったので、言葉を選びつつ書かせていただいた次第です。


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