動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。

前々日の4月14日、いわゆる「東行忌」に書こうと思っていた、高杉晋作についてです。


高杉晋作ほど、その人生を「駆け抜けていった」という印象を受けさせられる歴史上の人物はいないと思います。わずか27年8か月の人生、しかも、維新回天の表舞台に立っていたのはそのうちのほんの数年です。しかし、彼が生きていた人生の長さと比べて、より遥かに峻烈な印象を我々が受けずにはいられないのは、彼の生が持っていたダイナミズムゆえに他ならないのではないか…そう思えてなりません。
労咳で維新が実現するのを見ずに世を去らなくてはならなかった彼ではありますが、そこに悲壮感を見出すことはありません。あくまで破天荒で、あくまでパワフルなままで天まで駆けて行ったように思えてならないのです。


その彼が残した、有名な辞世の句。

おもしろきこともなき世をおもしろく

この句に下の句がつけられたのは、今ではすっかり有名な話です。
野村望東尼がつけた、

すみなすものは心なりけり

という句です。


この句には、個人的には少々思い入れがあります。今から10年以上前、クイズ業界の友人がクイズの問題集を出版することになって、自分もいくつか問題を提供したのですが、そのとき採用された問題のなかに高杉晋作が『おもしろきこともなき世をおもしろく』という辞世の句を詠んだときに、野村望東尼という尼僧が枕元でつけたといわれる下の句は何でしょう?」という問題がありました。当時としては相当の難問だったと思いますが、この本のおかげでこの下の句がすっかり有名になったのを「してやったり」とほくそ笑んでいたのをよく覚えています*1 *2


ところで。
司馬遼太郎の『世に棲む日日』という小説は、吉田松陰高杉晋作を主人公とした作品です。
新装版 世に棲む日日 (4) (文春文庫)
自分も興味深く読んだのですが。


そのなかで。
この下の句について、こんな記述がなされています。

晋作は辞世の歌を書くつもりであった。ちょっと考え、やがてみみずが這うような力のない文字で、書き始めた。


 おもしろき こともなき世を
   おもしろく


とまで書いたが、力が尽き、筆をおとしてしまった。晋作にすれば本来おもしろからぬ世をずいぶん面白くすごしてきた。もはやなんの悔いもない、というつもりであったろうが、望東尼は、晋作のこの尻きれとんぼの辞世に下の句をつけてやらねばならないとおもい、
「すみなすものは 心なりけり」
と書き、晋作の顔の上にかざした。望東尼の下の句は変に道歌めいていて晋作の好みらしくはなかった。しかし晋作はいま一度目をひらいて、
「……面白いのう」
と微笑し、再び昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた。

なるほど、言われてみれば、確かにこの下の句がつくと、妙に説教くさい、悟りきったものになってしまうような印象あります。「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」なんて都々逸唄っていた晋作にはミスマッチのように思えてなりません。シバリョーの卓見、さすがです。


高杉晋作については、「人気blogランキング」にも登録されている「久坂玄瑞高杉晋作〜on the way〜ゆうゆう日記」さんが詳しいです(http://blog3.fc2.com/kusakatakasugi/)。非常に丁寧に史実を紐解いて記述していらっしゃるので、とても勉強になります。自分もちょくちょく寄らせていただいているオススメのブログです。


★★自分は「おもしろきこともなき世をおもしろく」生きることができるのだろうか? 人気blogランキング★★

*1:その本の末尾に「問題などもろもろの協力者」を記した項があるのですが、ちゃんと自分の名前(本名です)も掲載されています。

*2:ちなみに、そのときに同時に採用された問題の1つ。「『週刊宝石』の『処女探し』のコーナー、女性の2つの答は『処女よ』と何?」(正解:「卒業よ」)。…最低だ自分。