長き波濤の末に。

日本史学特殊研究IVの残る第1設題も。
なんとかレポートを完成させることができました
あとは、インターネットを利用して提出すれば「今月のおつとめ」は完了です。


私たちが当たり前のように使っている「藩」という言葉ですが。
江戸時代中期から後期にかけてまでは、ごくごく一部の儒学者*1を除いて使われていた事例がなかったということをご存じでしたか?
恥ずかしながら、自分は知りませんでした。


「藩」という言葉は。
そもそも中国で使用されていたのが始まりであったようです。
「中国において皇帝から領地を与えられた諸侯を藩王あるいは藩鎮といった」(平凡社『世界大百科事典』)のを起源とし、転じてその領地を指すようになったとのことです。
それゆえ、使用する人間が儒学者に限定されていたのですね。


ここで注目したいのは。
「『藩』という言葉は、江戸時代には、公的な制度を指すものとしては使用されていなかった」という事実です。
例えば、今日「薩摩藩」と呼ばれている島津家の領国は「松平薩摩守家中」とか「松平薩摩守内」などと呼ばれていました。
当然、「薩摩藩士」に当たる武士たちも「松平薩摩守家来」と称し、称されるのが当たり前でした。


儒学者が「藩」という言葉を使う思想的背景としては。
「藩」という言葉がそもそも持つ「かきね」という意味から。
徳川将軍家を中心として、諸侯をその垣根とみなしていた」という「将軍の藩屏」という意味が中心でした。
少なくとも、新井白石はその意志バリバリだったように思います。6代将軍徳川家宣の侍講でしたしね。


それが、水戸学の発展などによって、「将軍の藩屏」から「天皇の藩屏」へと思想転換していくのですが…。
まあ、難しい話はこれくらいにしておきます。
最後に付け加えておくならば、幕末期に「藩」という言葉が使われている場合は、「天皇の藩屏」としての意味合いがほとんどであると言っていいと思います。


…てなことをつらつらとレポートに書いていった次第なのです。
疲れましたが、勉強になりました。


ただ。
明日だけは、仕事から帰ったら、何もせずに早寝を決め込みたいと思っています。
いやはや、今回はレポート作成で相当身を削りましたねえ…。


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*1:新井白石、木下順庵、荻生徂徠など。新井白石は『藩翰譜』という著作あるので1番おなじみでしょうかね。